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人生を振り返る

上司と専務に退職の意思を伝えた。
排卵してないよ、これは偽の月経だよって産婦人科の先生に言われた。
夜の家事をなにもしないで2日間過ごした。
旦那家事をやってくれて、それに関してはなにも言わないけど、私がずっとグチャグチャ悩んでごちゃごちゃうるさいから、なんかさっきお風呂で喧嘩しちゃった。

生命なんかどうせDNAの入れ物にしかすぎなくて、ただ有機的なだけで、機械と変わらない気もした。

ホルモンとかシナプスとか神経とか伝達物質とか、操り糸がそこにあって、だけど中途半端に心なんかあるせいで、自分で決めた気になって、馬鹿だな。

神様だとか悪魔だとか善玉とか悪玉だとか、自分じゃない何者かに突き動かされているという感覚は、ある意味ただしいかもしれない。

私ってADHDだから、いつも操り糸がこんがらがってる。薬を飲んでもピンとこない。風邪が治ったら熱が下がるみたいに調子がよくなることは、一生ない病気なんだと思う。

学校とか家庭とか職場とか、社会で起きる色々なことが、私には馴染めなくて、うまくいかないことが多くて、本当に大変だったんだよ。

こんなに大変な思いをしてきたのに、なんの才能もないなんて、そんなの信じられる?小学校や中学校で勉強がすごくできたからって、お母さんは褒めてくれなかったよ。私が集団生活が苦手で、いつも変わった子だって言われてて、運動神経が無様なくらいにからっきしで、先生の指示をあんまり聞いてない子だったから。

浮いてるんじゃないか、要領がわるいよって、頭がいいことと、勉強ができることは別だって、しょっちゅう言われてた。

もしも足が早かったら、部活で活躍したら、お母さんは素直にすごいって言ってくれたのかな。

「子供のころ、もっと褒めてあげればよかった。勉強ができるからって天狗になってほしくなくて素直に褒めることができなかった」

私がADHDだってことがわかってから、お母さんは病気のことを少しずつ勉強したんだと思う。私は、ひっそりと泣いた。

私は、運動神経わるくて、男の子からの人気もなくて、勉強だけはできるから悪目立ちしてからかわれてる子供だった。

自分が美人だったらよかったなって、よく考えてた。誰もが一目置くような美人だったら、こんなに惨めな想いはしないのになって。

女の子の美しさは筋力とか戦闘力のようなものだと、勘違いしていたのかもしれない。

自分が、どうしてこんなにつらいのかよくわからなかった。成績がおちたからじゃないかとか、美人じゃないからだとか、よく考えてた。

悩んでも仕方のないことでずっと悩んでて、誰に相談しても解決しないし、最終的にイライラしてきた相手に自分で頑張るしかないでしょ!?それであなたのいう力的なものを手に入れたら!?って言われて、責められたと感じてずっと泣いていた。

私ってほんと、何者でもない。
特に努力もしてないし、馬鹿だな。
毎日毎日、なにやってるんだろう。

薬剤師の資格は取っておいてよかったよ。
別に向いてる仕事じゃないし、好きな仕事でもないけど......。
惨めな想いしないで転職できたから、資格があって、よかった。

漁師やってたおじいちゃんの遺産があったから学費が払えた。偏差値高くもないけどとりあえず薬剤師資格は取れるよっていう、辺境の私立大学だった。私が高校で落ちこぼれにならなければさ、もっと学費の安い大学に行けたのにっておもって、ずっと惨めだった。

就職してからは、卒業大学の偏差値なんか、だんだんとどうでもよく思えてきたから、それはよかった。

みんな、どうやって生きてるんだろう。
未来のことを心配しなきゃいけなくて、現在のことに縛られてて、みんなつらくないのかな。
自分のことがイヤになったりしないのかな。
自分のことをダメだと思うことがいちばんつらいよね。私はそれがつらいよ。

10代のとき、ハタチまでに死ぬと思ってた。
20代になって、さすがに三十路までに死ぬと思った。
今となっては、きっと40代でも50代でも死ねずに生きてるんだろうなとぼんやり思っている。

私がもし変な死に方したら、旦那は私の両親にむちゃくちゃ責められるんだろうなって思うと、生きるしかないな。離婚は絶対したくないし、私が死んだ後に他の女と結婚して子供産ませたりしてたら、ほんとにイヤだ。

だから、やっぱり生きていくしかないんだ。
私たちはDNAに操られたキョンシーで、息苦しくて不寛容な文化の国にうまれて、北欧のひとに比べると、全然幸せじゃないけど。

いつかは、大地に帰りたい。
鳥になって、空に還りたい。

具体的に自信持って、何かあるって言えるものを、それまでに見つけたい。


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