風男たちーコロナが終息したらやりたいことー
コロナが終息したら何がしたいか?
ずっと思いつかなかった。
今朝、般若心経を唱えているとき(修行僧か(苦笑))に思いついた。
四国遍路の続きがしたい。
3.11後に歩いたように。
仕事しているから分割で。少しずつでも。歩けないとこがあっても。
ここでも宣言しよう。
以前他のSNSでも書いた四国八十八箇所最初の遍路ころがしポイント「焼山寺」
この道程で私には忘れられない思い出がある。
徳島を歩く遍路たちはみながみな新米お遍路、つまりへっぽこでいろんなポカをやり尽くす。
携帯を落としたり杖やメガネを置き忘れたり荷物がやたら多かったり。
私は靴がダメダメだった。遍路の山歩きを甘く考えいた。街歩きのアディダスのスニーカーで行っていたのだ。運悪く小雨が降ってきてその滑ること。
しかし新米遍路のいいところは
「まだピュアな助け合い精神を忘れていない」点だ。
同じ時期にスタートした遍路達は宿やら道中で何度か顔を合わせる。ひとりで歩いているのに不思議な「運命共同体感覚」が育まれるのだ。
雨は降るわ、例の焼山寺どんでん返し「さらにもうひとつ山がある!」に直面するわで
遍路達がうなだれて長く休憩してしまうポイントができていた。
私は自分の人生で絶望にはある意味慣れていたから持参したおにぎりを食べて元気出してまた歩くつもりでいた。
すぐ隣でガタイの大きい若い男性が呆然としていた。おにぎりを2つ持ってきていた私はひとつを渡した。
彼はもう1つ山があるのにくれるの?みたいな顔をして、それでもすごく嬉しそうに貪るように一気に食べてしまった。豪快な食べ方をみて私も嬉しくなった。
先に行こうとすると彼が同行者として私を先導するように歩くようになった。私の靴を見ていたしよく滑って危ないしきっとおにぎりのお礼のつもりだったのだろう。
しばらく一緒に歩くと背が高くガタイの大きい彼のペースに合わせるのがとても苦しくなってきた。20センチ以上背丈の違う人の歩幅で慣れない山歩き、頑丈でない私はついていくことが困難になってきていたのだ。
「申し訳ないけれど先に行ってもらってもいいかな?体力なくてペースに合わせるのが厳しくて」彼は何度も「大丈夫ですか?」と言っていたけどそれでも私の意見を尊重してくれて先に行った。
背中はすぐに見えなくなった。
そこから私は何度も何度も滑ったけれどただ足を前に出してを繰り返してなんとか札所にたどり着くことができた。
よく道中で見かける別の青年が私が登ってきたのを見て言った「良かった。着いたんですね。」意味が分からない私はキョトンとした顔をした。
「彼が心配してずっと待ってましたよ。一緒に行くのを断られたって。それでも、心配だからって。」
ここで道中で会う別の青年が私にその事実を伝えなければ私はガタイのいい男性がただおにぎりをあげただけの私を心配してずっと待っていた事実を知ることはなかった。
私が到着する姿をみて声もかけず行ったことも。
お礼を言われることさえ期待せず。
彼にはその後一度も会わなかった。
お遍路で私はひとりで歩いていたけれど
こんな「弘法大使」の変化と思ってしまうような出会いがいくつもあった。
「同行二人」。
風のように現れて去っていき
その誰とも
二度と会うことはなかった。
風男たち。
彼等にまた出会うためまたきっとあの地を訪れよう。
(了)