「推しの子」を見て自分の詩の出発点を考えた(詩もあるよ)

こんにちは!
福岡は快晴です♪気温もちょうど良くてお出かけ日和。
土曜日が休みでないので日曜日は家事やらなにやらで慌ただしいです。
今日はお出かけ時間は取れそうにありません。ここで読んでくれる皆さんとお話ししているつもりで書こうと思います。

いきなりですが文章より映像に強いです。そして実際に好き。文章は一生の片思いかと思いつつ続けている過程(それがまた良かったりして←マゾ?)
周囲にアニメ・漫画好きの知り合いが増えて色々情報をもらうようになりました。
今年のモットーは
「四の五の言わずに出来るだけまずはおススメ見てみる。
やってみる。それから、自分に合うかどうか決める」
ですからおススメアニメも時間の許す限り見てます(時間が足りないー)
「推しの子」「地獄楽」は想像以上に面白かった。
特に「推しの子」は薦められなかったら見てないキャラの絵だったりするのですが他にも書いている方が多いように(今更ですよね)第一話(90分!)では

その展開読めなさすぎ!推しの子ってそういう意味かーーーい?

だったのです。時代性もしっかり捉えており芸能界の裏側を細部まで描いているところもこりゃ話題になるわ。でした。
絵も一話終えて改めて見てみると
一周回って新しく感じるようになりました(「地獄楽」の方が今の流れの絵柄な気がする。チェーンソーマン的な)

こんなことを書くと怒られそうですが私は再三
日本の現代詩はとっくにアニメやゲームに先を走られていてずっと後追い。
だと思っています。
後追いということは既に「使い古されている感」が半端ない。と。
そこからいかに「使い古されていない」感じ「切実な」(書き方ではなく内容でもなく)ものを書けるか。なんですがため息が出るほど難題。
私も書いていているひとりなので五里霧中のなか歩いている気になったりもします。

あ、また話がそれた。
「推しの子」と「地獄楽」の第一話を見て
主人公たちがある目的のために決意を固めるのですが(ネタバレになるので書けませんが。面白いからよかったら見てね)動機付けってやつ?

私が詩を書きたい!これについて言葉にしたい!と思った理由ってなんだろ?と考えました。
最初は小学校の授業で。
でも、自発的に詩を書きたい!と強く思ったのは父と最後に会った時の「父の磨かれまくった靴」についてどうしても書きたいと思ったから。
それを思い出せました。

詩集に載せた「父の靴」について書いた詩をこの後に書いて締めくくりたいと思います。
もしよければこれを読んだあなたが「書きたい」と思ったスタート地点をコメントで教えてくれたら嬉しいです。
あなたのスタート地点も知りたいから。

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「噴水」                  網野杏子

私たちは噴水の前で別れた
昼間でもひとけのない公園の隅で
父が逝ってしまう5日前だった
三年ぶりに会うことになった母を見て
眩しいくらいに笑っていた
散髪したての髪
お気に入りのジャケット
靴は、気恥ずかしいくらい磨きたてられていた
母は一度も目を合わせようとしなかった
それでも父は
何もかも浄化したような目をして
眩しいくらいに笑っていた
『子等想い 鞭打ち励む日々哀し 世過ぎ下手なる 老いゆく我は』

父の声も思い出せなくなった
最後に残ったのはあの背中

声を殺し私の隣で泣いていた母が
義父と共に去ったとき
萎れていく家から
姉たちが飛び出していったとき
ひとまわり小さくなった背中で
ひとつのフレーズを口ずさみながら
洗濯物を干しかけていた
いつもいつも同じ歌
女が男に惚れこんで押しかけ女房になる歌
まるで
父と母の出逢いのような

最後に残った娘の親権を奪われた噴水の前
何度も私を頼むと母に告げ
いつまでも見送っていた
なぜ歳月は人の想いまで涸らせてしまうのだろう
母の想いは、乾いてしまったのだろうか

私たちは噴水の前で別れた
けれどもう 誰であっても
私の想いを涸らせることは出来ない
時は去り 時は逝き
それでもなお
剝ぎ取れぬものを抱いているから
何十年変わることなくあの場所で
水しぶきを上げ続ける噴水のように

いつまでも
絶えることがない

           『あたしと一緒の墓に入ろう』(草原詩社)より

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最後まで読んでくださってありがとう。
また良ければ、来週お会いしましょう!

                          (おしまい)


アンビリーバーボーな薄給で働いているのでw他県の詩の勉強会に行く旅費の積立にさせていただきます。