たとえそれが誰の賛同を得ないとしても。
詩を書くために、
一歩でも自分で納得いく詩を書くために元気で長生きしたい。
どんなに愚鈍でもあきらめず今まで書いてきたからほんのわずかずつでも成長できてきている気がするから。
心からそう思っている。
でも書くことで生きていくつもりはない。
書くことで生きていけないから強がりで。ではなく
そうしたくないのだ。
たとえば最近こうつぶやいた(ちなみにツイッターは2020年一年をかけて卒業する。私は閉じたSNSとこのnoteが気に入ってる。)
↓
「自分の親は…」といい続けてる友達に「そっか…。でもそこまで子供にけちょんけちょんに言われて愛されなくてそれでもなお生活サポートし続ける親御さんってすごいって思うのは私だけ?」とつい言ってしまったら長い沈黙が流れてしまった。
自分を基準にしたら厳しくなりすぎると頭で分かっていても高校受験時に自分のお店の客と不倫で逃げてそれが遠因で唯一の心の支えだった父が死んで大学あきらめざるをえなくて17歳から一人暮らしバイト生活で男が死んで病気になったら厚顔無知で娘に頼ってくる親だっているよ。それに比べたら。とつい頭をよぎる(きっと物語みたいに語れない不運もあるのだと理解できる年齢になっても)
それでもそこまで親に対して愚痴ってないわ。と。はい。冷たいと自覚してます、私。
「あなたみたいにできる人ばっかりじゃない」と言われてもきたけど「できないかもと思ったけどやるしかないとこまで追い込まれてたからやっただけ」としか答えようがなくて。
しかも出来てなんかないし。
難しいことを続けてやっていくためにどう工夫して何をどれだけ諦めてきたか。一ヶ月でも私と一緒に生活してみて。それから言って。半ば喧嘩腰にそう思ってしまう。
ツイッターなどでよく「~を理解してください」って文言を見かけるけど私に関しては人がそこまで理解してくれるなんて期待すらしてなくて自分がわかっていたらそれでいいんだと思っている。自分だけは騙し通すことは出来ないから。
↑
つぶやきに少し文字を足したのが上の文章だ。
このご時勢、ぜんぜん共感されないどころかおおむね人の気持ちを退かせるとわかってる。
私がよく使う言葉だけど。
SO WHAT? だからなに?
書くことを生業にしている人、両立している人、どちらも私の周りにいる。
全員が全員じゃないかもしれないけれど逃れられないお付き合いで
忖度感想、忖度PRの多いこと。多いこと。
勘違いかもしれないけど私はそう思ってしまっている。
なにがなんでも、それをしたくない。のだ。
仕事では、忖度だっていたしましょう。太鼓もちだって出来るかも。馬鹿にされてへらへらだって能天気のふりだって騙されてるふりだって、いたしましょう。
でも書くことではいやだ。
どんな人に言われても。名のある人に土下座されたっていやだ。
自分の気持ちと離れてる言葉は書きたくない。
いいと思ってない詩集にいいと書きたくないしPRしたくない作品は断じてPRしたくない。
「しかたないな~」
と思えない。思いたくもない。
金に転ばなくて済むようつきあいに転ばなくて済むようそのために
他で
生きて食っていく。生活していく。
書くこととそれらは違う。早い早い段階で自分でそう決めていた。
たとえそれが、誰の賛同を得ないとしても。