「さよなら」を教えてくれたジャックへ 〜グリーフケアのはじまり〜
7年前の2016年、初代ジャックが悪性リンパ腫(消化器型)を患い、虹の橋へ旅立ちました。彼は13歳8ヶ月でした。
ある日、朝食後に食べたものを吐き出し、それ以降、食欲も元気も失ったジャック。その姿を見た瞬間、私たちは「何か大変なことが起きている」と感じ、すぐに病院へ駆け込みました。
診断の結果、ジャックは「消化器型悪性リンパ腫」の可能性があるとのこと。
「治療をしなければ余命1ヶ月。手術や抗がん剤治療を行っても半年。完治は望めない病気。」
医師の宣告は、私たちにとって非常に重いものでした。その瞬間、初めて「ジャックは死んでしまうんだ」と絶望感に押しつぶされました。
「お別れの準備ができる病気」
腫瘍内科の先生が話してくれた言葉が、今でも忘れられません。
「癌は確かに怖い病気ですが、憎むべき存在ではありません。お別れの準備ができる“優しい病気”でもあります。」
その言葉に救われる気持ちがありました。この時から私たちのターミナルケアとグリーフケアの旅が始まり、愛する命が「死を迎える準備」という概念が、私たちの中に生まれました。
「泣かない」と決めた最期の時間
もちろん、ジャックを送り出す日々は、悲しみと不安の連続でした。でも、彼に少しでも安心してもらいたいという一心で、「ジャックの前で泣かない」と決めました。彼が安心して過ごせるよう、出来る限り笑顔で接し、精一杯の愛情を注ぎ続けました。
そして最期の瞬間、ジャックは尻尾を振りながら「さよなら」と言うかのように私たちに別れを告げました。その時も涙はこらえ、彼の旅立ちを見送りました。
グリーフケアの一歩としての詩と絵
ジャックがいなくなってから、私は自分自身のグリーフケアとして、彼をテーマに詩やイラストを描き、動画を作りました。その詩を読むたび、動画を見るたび、未だに涙が止まりません。私にとって、それは心の奥底に響く、大切な思い出の一部です。
ジャックに捧げた詩
時の羽
命は、生まれた時から天国に帰る準備をはじめる。
ひとりぼっちの留守番も、楽しいひと時も、昨日と変わらない今日も…
見えない羽は休むことなく毎日降り注いできて、
一枚、一枚、背中に生え揃っていく。
羽が翼になった朝、とっても体が重くなった僕は、
精一杯の力で「おやすみ」って言ったんだ。
僕はすぅ〜っと軽くなって、
青空の中をふわふわ浮かぶ雲のように
ゆっくりゆっくり君の夢の中へ。
寂しがらないでね。
君が寂しいって思う時は、
いつでもドアを開けるから。
何年経っても癒えない悲しみ
最愛の存在を失うという経験は、心に深い傷を残します。それはまるでトラウマのように脳にも刻まれ、何年経っても涙は枯れません。ジャックのことを思い出すたびに涙が溢れ、あの時の悲しみが蘇ります。けれど、その涙はジャックと過ごした日々がどれほど大切だったかを教えてくれるものでもあります。
おわりに
ジャックとの別れは、私たちにとってとても辛いものでしたが、彼が教えてくれた「さよなら」の準備、そしてグリーフケアという概念は、今も私たちの心に生きています。
愛する存在を見送ることは容易ではありません。それでも、その過程を通して感じた愛や思い出は、永遠に心の中に輝き続けるのだと思います。
もし、この記事を読んでいるあなたが同じような経験をされたことがあるなら、この詩が少しでもあなたの心に寄り添うものであれば幸いです。そして、愛する存在との思い出を、どうか大切に抱きしめてください。
この記事が誰かの心の癒しとなることを願って。
いつでもジャックは、私たちの中に生きています。