生きている限り、はたらくを探す旅は続く
高校生しながらパン屋でアルバイト→専門生は事情あってバイトせず→卒業後5年勤めた会社を休職→退職→無職10ヶ月(数ヶ月ほどアルバイト)→結婚(一ヶ月ぐらいアルバイト)→出産→専門職に就く(5年ほど)→退職して今はパート。
以上が私の職歴。
5年勤めた会社を辞めてから幾度も考えていること。
そろそろ自分なりに決着をつけ、周りに捉われない働き方を模索していきたいと思っていたときに見つけた今回の企画。
まずは、「働く」ということについて辞書で調べてみる。以下gooの引用
1 仕事をする。労働する。特に、職業として、あるいは生計を維持するために、一定の職に就く。「朝から晩までよく―・く」「工場で―・く」「―・きながら資格を取る」
2 機能する。また、作用して結果が現れる。「薬が―・いて熱が下がる」「引力が―・く」「機械がうまく―・かない」
3 精神などが活動する。「知恵が―・く」「勘が―・く」
4 悪事をする。「盗みを―・く」「不正を―・く」
5 文法で、用言や助動詞の語尾が変化する。活用する。「五段に―・く動詞」
6 動く。体を動かす。
「死にて六日といふ日の未 (ひつじ) の時ばかりに、にはかにこの棺―・く」〈宇治拾遺・三〉
7 出撃して戦う。
「オノレワ戦場ニ出テ楯矛 (たてほこ) ヲ取ッテワ―・カネドモ」〈天草本伊曽保・陣頭の貝吹き〉
[補説]「働」は国字。
[可能]はたらける
「働く」といっても色んな意味や使われ方をするものなんですね。
必ずしも金銭や対価が発生するだけではないことなのだ。
昔は、戦うことも「働く」という意味で使われてきたんだね。
さらに調べたらこんなのも出てきました。
専門生のとき、とある人からこの記事のタイトル通りのことを何度も話してくれた。その度に、人の役に立てるように頑張ろうと、今思えば実にもならないことを一生懸命こなしてきた気がする。
人のためと言うけれど、一体誰のことを指していたのだ?上司?先輩?同僚?同期のため?それが常に頭を回る。
馬鹿みたいだ。
結局私にとっては
人の役に立つ=人の顔色やご機嫌を伺うこと
だった。
結局それが自分を潰すことになった。
休職前からご飯が喉を通らなくなった。
相当痩せたと思う。あの頃が一番人間として終わっていた。私って何だろうっていつも考えてた。私って何をしたいのだろう?もし、その時の自分がTwitterやnoteに出会っていたらネガティブなことをつらつらと書いていたことだろう。
「どうしたらいいですか?」「私って存在する価値ありますか?」
顔の見えない見ず知らずの人にこう問いかけていたかもしれない。
顔の見えない見ず知らずの人に答えを求めていたことだろう。
私らしいはたらき方、ひいては私らしい生き方を、半ば放棄していたところだった。
実は休職→退職から結婚までの10ヶ月間もそれは色々あって、思い出したくないぐらいなんだけど、それはこのテーマと関係ないことなので割愛。
主人と結婚してからも、主人に、自分はこれからどう生きていったらいいのか、という、自分でも答えの出ない難問を、押し付けてきてしまった。
こんな厄介な女と一緒になったばっかりに、穏やかな微笑みとは裏腹に相当な心労もあったに違いない。
落ち着きどころが見えない話し合いを何度も繰り返し、それは明け方まで続くこともしばしば。離別の危機もあった。
幸いなことにその繰り返しを通して、自分は自分の生き方をしてもいいんだと思えるようになってきた。
そうして、少しずつ少しずつ自分の人生軸が主人と私と子どもの生活になってきた。
ようやく私が私らしくあるためのはたらき方をしていこうと考えられるようになってきたけれど、自分の価値観というのは早々簡単にはアップデートできなくて、今でも
働く=己を犠牲にして人に尽くすこと
という図式がぬぐい切れないでいる。
でも、大丈夫だと思う。
だって、私には家族がいるんだし。
こうして書いている今も、主人は子どもが作った、名前のわからないレゴの物体を弄っているし、子どもはレゴで作ったピストルを持って見えない敵と戦っている。
それが私の家族。
そんな家族に囲まれながら、私は私のしたいことをのんびり模索していけたらいいかな。
私らしい働き方を探す旅はこれからも続いていく。