【毎週ショートショートnote】このじいさん、何者?
バイト終わりの午前零時。
俺は駅前で一人、呆然とするしかなかった。
つい三日前に新調したばかりの自転車のサドルが…。
すっぽりと無くなっている。
あぁ。
俺はどうしてこんなにも、サドル運がないのだろうか…。
自転車まるごと無くなっているのだったら、まだ理解できる。
でもなぜサドルだけ…。
さぞかし前世では、サドルの神様の逆鱗に触れることを幾度もやってきたに違いない。
徒歩20分という長い距離と、通行人に注がれる憐みの視線を考えると、俺の気持ちは重しのように重たくなった。
その時。
「そこの兄さん」
声のする方を向くと、そこには派手な全身タイツを身にまとったじいさんが競技用自転車と共に立っていた。
俺は内心ひきつつも、軽く会釈する。
「何かお困りのようだね」
「は、はい…」
「おや?サドルがないね。もしかして盗られちゃった?」
俺は頷いた。
「よし!それならば、と」
じいさんは、たらこのような唇を自分の自転車のサドルにくっつけた
(うわぁ~、何だコイツ~)
じいさんの行為に内心ひきながらも、俺はなぜか目が離せなかった。
じいさんは、ぶちゅーという唇の形のまま、俺の自転車へ近づく。
するとサドル辺りに顔を近づけたではないか。
「うわー、何するんですか~」
こんなことなら無視すればよかった。
時すでに遅し。
だがその瞬間、俺の自転車から煙が立ち込めた。
(えっ?なになに?」
戸惑う俺を尻目に、じいさんは
「よし、これでOK」
と歯抜けの笑顔を見せ、のっそり立ち去っていった。
煙がすっかりなくなり、俺はびっくらこいた。
なんと、そこには新品のサドルが何事もなかったかのようにハマっているではないか。
すると自転車の後ろあたりに、何か紙切れのようなものがぶらぶらしている。
そこには、
「自転車専門店様へ。こちらは『口移しサドル』を使用しています」
という但し書きがあったとさ。