真実と虚構の狭間─『スパイダーマン ファーフロムホーム』
こんな大層なタイトルですが、別に哲学的な問答をするわけじゃないです。
ただ、先だって公開された映画「スパイダーマン ファーフロムホーム」(以下FFH)を形容するのに、この言葉がぴったりだと感じたので、付してみただけです、はい。
以下、これから見る予定の人は読まないほうが67%くらいの確率で良いと断言できる内容なので、お気を付けて下さい〜〜
歴史的な興行成績で話題になった「アベンジャーズ エンドゲーム」とは打って変わって、FFHの主人公は「親愛なる隣人」スパイダーマンことピーター・パーカーである。
FFHは彼の、世界を救う責任を負う存在である「ヒーロー」と等身大の自分「クイーンズの高校生」でいることの葛藤が一連の流れを通して描かれている作品だった。
これまでのアベンジャーズのヒーローたちは、先天的にヒーローの気質を備えている存在であるかのような描かれ方をしていたと私は感じているけども、スパイダーマンに関しては、「普通の隣人がヒーローになる過程」というのを、重視しているように思う。
話の腰をおるけども、私自身スパイダーマンに「親愛なる隣人」と冠するのがとても好きで、隣人が何度も登場するのはそのせいだ。
スパイダーマンがMCUに登場するようになってからの映画(ホームカミング、ファーフロムホーム)において、
彼の敵として現れる存在は、宇宙全体という視点から見てみれば地球という内部の人、つまり誰かの隣人ということになる(アベンジャーズ のシリーズでは、たびたび地球対宇宙という構造が取られているが、スパイダーマンでは人間対人間となっている)。
これもスパイダーマンのキャラクター性に一役買っているのかな、と。
そろそろタイトルを真実と虚構とした訳を語らねば。
今回は、というよりも、今回も、マーベルは映像の武器を最大限に生かしている。
「ミステリオ」は自分の計略のために、嘘を真実と思わせる世界(映像)を作り上げて、映す。
きっちりとシナリオまで用意しており、実際にはいない、架空の敵、そしてヒーロー「ミステリオ」を作り上げ、世界で上演する。
はじめ、ミステリオは「ベック」であると名乗った。が、ピーターに「ミステリオ」と呼ばれてからは、ベックではなく、ミステリオだと名乗っているところを見ると、作り上げた虚構のヒーローが軌道に乗っていることに満足しているような感じを覚える(ミステリオ調子乗ってんな〜〜)。
そして、ピーターもこの作り上げられたヒーローに騙され、苦戦していくわけだ。百聞は一見にしかずというけれど、ミステリオは「一見」を無条件に信頼しがちな人間の盲点をついて、計画を実行していく。
あ、また一つ挟んでも良いです?
今回、架空の敵としてエレメンタルズを登場させたのは、昨今の地球の環境問題ともリンクするよな…と。
顔のついたハリケーン(これはまさに近年日本でも多い大型の台風とかね)だとか、水@ヴェネツィア(温暖化による水位上昇?…なるほど、だからヴェネツィアだったのか!)だとか、火(山火事etc...)だとか…
トランプ大統領は地球温暖化説に根拠などないと仰ってるけども、その根拠を教えて欲しいですよね。
と、まぁ話を元に戻しまして。
MJのおかげで、エレメンタルズがただの映像であることが判明して、ミステリオに渡してしまった、今は亡きトニー・スタークから託された「イーディス」を取り返そうと奮闘する訳ですが…
ピーターに仕掛けがバレてしまったミステリオが、ピーターを「片付け」にくる訳ですけど、その戦闘(というかほぼやられっぱなしの)シーンは、核心に迫るものがあった。
見えているものは偽物であると分かっているのに、次から次へと押し寄せる偽物の波が、何が現実(真実)であるのかを分からなくしてしまう。
流されに流されまくり、結局列車にはねられ(流寸前で回避し)て、オランダまで連れていかれちゃうピーターですが。
そういえば気を失って電車内にいたピーターが、警察署にいたのは、彼が無賃乗車したと思われたからですかね(ヨーロッパは日本とは乗車のシステムが違って、改札がないために無賃乗車しやすい)(もちろん、スタッフが切符を購入しているか見回るなどの別のシステムがある)。
自分の文化圏以外の映画を見るときに、こうした社会のシステムや文化の違いを元に発生する違和感を見落としたくないよな〜〜これによって解釈が違ってくることもあるだろうし。
あと、ハッピーにオランダまで迎えに来てもらう時、その飛行機が一面花が咲いている場所に着陸したのは何か意味があったんですかね??
個人的には可哀想だったんですけど〜〜花が(花かよ🌸)。
翔んでクライマックスの戦闘シーンです。
ミステリオが見せる幻影はドローンが投影しているわけだけど、スパイダーマンが、このドローンを壊すごとに、虚構で塗り固めた世界が剥がれていく過程を視覚的に見せてくれたのは、おもしろかった。Fateで言うところの、固有結界から脱出して現実に戻るかのような(伝わる人いるのかな、これ)
これまでのマーベルシリーズと比較すると、今回物理的な「破壊」は控えめだったけれど、この幻影を打ち破ることこそが、今作におけるメインの「破壊」なのではないかなと思ったり。
そしてなにより、「目に見えるものが真実とは限らない」というかのような暗喩をひしひしと感じた。
終盤で、ピーター・パーカーが目を閉じて自分の感覚を頼りに戦うシーンがあった。最終的に彼は自分の感覚(“ムズムズ”)を信じて戦い抜いていたけれど、自分を信じられることほど強いことはないということを、印象的に感じられるシーンだった。
こういう存在こそが、「ヒーロー」だよね。うん。
ラストで、これまた真実らしく作り出されたフェイクニュースによって「厄介な隣人」に転じてしまったスパイダーマン。
確実に次回作があると思われるエンディングだったので、楽しみにしたい…!