─『インセプション』
今回はいきなり物語の内容に突っ込みます(フラグ)。
ところで、映画とかのネタバレってネタバレではないよなぁと思うのですが、そこの所どうなのでしょう。
手品やマジックの類は、ネタバレ(ネタばらし)してしまうと、一気に興を削いでしまうけども、映画や小説の類はそんなことがない気がしている。
でも「主人公が死ぬ」といったような、少しばかりの想定を覆されるのはネタバレであるような気もする。
う〜ん。
そんなことをうだうだ考えていても仕方がないので、今回も徒然なるままに映画を見た感想を綴ります。
物語の核となる中盤〜終盤のロバート(対象者)のインセプション(植え付け)計画における、夢の階層がどうのって話が難しくもあったのだろうけど、個人的には見ていてすごく理解しやすかった。
全ての時間軸が平行しているのを分かりやすくしてくれる構成であったと思う。
特に「キック」の起こるタイミング
地デジで放送する時に、解説として現在は夢の第何階層とテロップ(?)が出たらしいけど、なんと無粋な…と思ってしまった。
個人的には、第一階層と、第二階層、第三……と時間の流れが違ったことについて、ノーランの別の作品『インターステラー』において、惑星間で時間の流れが異なる現象と同じじゃん〜! と興奮したり。
他にも、夢の世界でアリアドネが平面のパラドックスを具現化させたり、4次元の世界を設計したりする場面が出てくるあたり、4次元とか相対性理論とか好きなんだなこの人〜と思ってしまった(実際にそうなのかは知らない)。
タイトルをインセプションとした意味も、最後の方にエッジが効いてくるというかなんというか。
私自身伏線を読み解くのとかすごく苦手なんだけど(というよりも、考えながら本読んだり映画見たりするのが得意ではなくて、むしろ想像しまくってその世界に入り込んでしまいがち)、ノーランの作品を観ると匂わせだとか、伏線だとかに気付きながら楽しみたくもある。
「インセプション(=植え付け)」をすることはとても困難を伴い、対象者の奥深いところまで入らなければならないことは、劇中でも言及されていた。
だからこの作品の核となる夢への侵入の過程では、何階層も夢を潜っている。
そんな危険なインセプションだけども、コブがモルに植え付けをすることができてしまったのは、そこに二人の深い関係性あってのことなんだろうと思う。
そんな二人だけども、最終的に、コブは夢(モル)に別れを告げて、現実に戻る。そしてずっと見たかったフィリッパとジェームスの顔を見ることを選んだ。未来は夢ではなく、現実にしかありえないんだと感じた。夢にもその時間軸上での未来はあるかもしれないけど、実際に起こる現象としての未来は、現実の先にしかない。
まぁモルがどうしてそんなに夢の世界に固執したのかはよく分からなかったけど。別に現実で子供が死んだわけではないし、コブが死んだわけでもない。一種のドラッグのようなものなのだろうね。
そしてやっぱり一番印象に残ったのが最後のシーン。
何かのインタビューで、このシーンについてノーランは「駒が止まるか止まらないかは問題ではなく、コブが駒を見ていない(捨てた)こと、そしてコブが見たいもの(=二人の笑顔)を見ていることが重要なんだ」というようなことを言っていた(らしい)。
単に見たいものを見ているだけなら、夢を見て現実逃避をしていることと変わらないけれど、彼は夢(かどうかを見極める駒)を捨てて、現実で生きていこうと決めている。そこが駒を「封印」したモルとの違いであり、夢に夢を見てしまう人との違いなんだろう。
かっこいい。
あとはまぁ、わりとどうでもいい感想。私が見逃してしまったのかもしれないけど、ドリーマー(夢の主)の夢にどうやって入っていくんだろうと言うのがすごく気になる。夢の世界に入り込ませるあの装置にそういう設定があるのかな。
そういえばMCUのドクター・ストレンジをこの前の地上波放送で視聴したんだけども、最近4次元の世界をくねくねするの流行り?インセプションは夢の中の話で、ストレンジは魔術の世界の話だったけども。
その流行りに乗って4次元ポケット誕生しないかな。あわよくば、そこからどこでもドアが出てきたりするととても嬉しいのだけど。
別に全ての移動時間を短縮したいわけではなくて、通勤時間を短縮したいんです……。
(プライベートでの)移動時間があるのは逆に好きでもあるので……。
今日も今日とて脱線しましたが、おしまい!
6月にはシネマート新宿で公開されるジョン・ウー監督のThe Crossingを見に行く気満々ですのでその時にまた!