私になりたかった私 #9 「麗」
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☆麗☆
麗はあゆみの部屋の前にやって来た。
合鍵を使い、手慣れた様子で部屋に入る。
最初にあゆみの部屋に入ったのは、包帯が取れたすぐ後だった。
不動産屋に行って、鍵を失くしたと言ってマスターキーを貸してもらった。
不動産屋の人は麗が別人だと疑いもしなかった。
麗はそれですぐに合鍵を作った。
それから気が向いた時にこの部屋に侵入しているのだ。
麗は短い廊下を歩き、小さなキッチンに入った。
キッチンと居間はガラス戸で仕切られているものの、ひと続きになっている。
麗は舐めるようにキッチンを見ていく。何も変わった様子はない。
続いてガラス戸を開け、居間に入った。
「あ、これ新しい」
ベットの横の棚に飾ってあるポストカードを見て、思わず声が出た。
麗はポケットからスマートフォンを出して写真を撮った。
「これも」
本棚の上に置いてある本の写真も撮った。
すべて一緒でないといけない。
私は本間あゆみなのだから。
麗がふと見ると、姿見に自分の姿が写っていた。
昔の自分の面影はない。
あゆみのメンバーズカードを調べ、髪は表参道の美容室で切った。
服はあゆみがお気に入りの渋谷パルコの店でそろえた。
完璧に本間あゆみじゃないか。
気付くと、麗は鼻の先がつくくらい鏡に接近していた。
そばにあったリップグロスを手に取り、たっぷりめに塗った。
「本間さん。本間あゆみさん。はーい」
麗は笑い出した。床に座りこみ腹を抱えて笑い続けた。
ふと見ると、髪の毛が1本落ちていた。
麗は手を伸ばし、その髪の毛をつまんでまじまじと見つめた。
これはあゆみの髪の毛だろうか?
それとも自分の髪の毛だろうか。
「どっちでも一緒だ」
笑い疲れると立ち上がってクローゼットを開けた。
この前真似て自分も買ったワンピースを取り出して体に当てた。
グリーンのスカート部分が目を引くワンピースだ。
パルコの店員はグリーンが今年の人気の色だと言っていた。
「かわいい! かわいい! あゆみ、ちょーかわいい」
麗は楽しくて楽しくて仕方がなかった。
ひとしきり部屋を見て回ったあと、麗はあゆみの中学の卒業アルバムを見ていた。
麗はさきほど体に当てていたワンピースを着ている。
ワンピースにはタグがまだ付いていて、まるで何かを警告するかのようにちくちくと麗の肌を刺した。
麗は不愉快そうにタグを背中の方へ追いやって、アルバムに集中する。
3年2組のページに長い髪をポニーテールに結った15歳当時のあゆみの写真が載っている。
やはりあゆみは笑顔が美しいと麗は思う。
この頃のあゆみは現在のあゆみより太っていて、より健康的な印象だ。
えくぼがかわいい。
同じページに亮も載っていた。
こちらは今とあまり違いがないように見える。
集合写真を見ると、あゆみと亮がそれぞれ笑顔で写っていた。
麗はあゆみと亮の顔をそれぞれ指でなぞっていく。
次第に自分の過去が塗り替えられていく気がした。
自分は中学の時、ポニーテールをして、この紺色のブレザーを着ていたのだ。
明るく、楽しい学園生活を送っていたのだ。
上の方に、別枠で載っているひとりの少女の写真を麗は見た。
丸く切り取られ、集合写真に添えられるように載っているその子はおかっぱ頭で太っている。
にきびで顔が赤く腫れていて、卑屈そうな目はじっとカメラを見据えているようにも、どこか遠くを見ているようにも見えた。
麗はその子の個別の写真を見る。
矢口桃子。
彼女を見ていると、さきほどの高揚感が嘘のようにしぼみ、なくなっていくのを麗は感じていた。
麗はつまらない気分になり、勢いよくアルバムを閉じた。
服を着替え、麗はあゆみの部屋を出た。
もう夕方だ。
外は薄暗く、空気はひんやりとしていた。
ブルゾンを羽織ってくればよかったな、と麗は思った。
あゆみを真似て、お洒落なブルゾンを購入したばかりだったのに。
一度部屋に戻って取りに行くか。
麗は顔を上げ、向かいのアパートの自分の部屋のドアに目をやった。
「こんばんは。今日はお休みですか?」
突然声をかけられ、麗が驚いて声の方を見ると、隣の家の女性が買い物袋を提げて立っていた。
「え、ええ」
「いつもお仕事だと遅いですもんね」
麗があいまいな笑顔を作ると、女性は会釈をして部屋に入って行った。
ホッとしたその時、スマートフォンが鳴った。
麗は鞄からスマートフォンを取り出した。
「麗……麗」
電話に出ると、情けない声がした。
なんであゆみはこんな男と付き合っていたのだろう?
付き合えば付き合うほど、麗には亮を好きになったあゆみの気持ちが理解できなかった。
それでも麗の口からは優しい言葉が出てきた。
「泣いてるの? 今から行く」
(つづく)私になりたかった私 #10 「麗」はこちらから。