私になりたかった私 #8 「あゆみ」
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翌日の昼前、私は渋谷の公園通りにあるカフェの一番奥の席に座っていた。
アンティークな家具でまとめられたこの店は私と亮のお気に入りだった。
ご飯はちゃんとおいしいし、隣の席との間隔もありゆっくりできた。
亮はここで私の仕事終わりをよく待ってくれていた。
イヤホンをして作詞をしている亮を見つけると、一日の疲れが吹っ飛んだものだった。
そんなに前のことではないのに、なんだか遠く昔のことのように思えた。
こんな思い出深い店を使いたくはなかったのだが、周りを気にせずに話せそうな場所が思いつかなくて、ここを指定してしまった。
亮はまだ作詞とかしているのだろうか。
私も亮もここのモンブランが好きで、でも生クリームがたっぷりのったショートケーキも食べたくて、よく半分こにした。
亮はあの女とケーキをシェアしているのだろうか。
店には私のほかに、中年女性の2人組しかいない。
彼女たちは何か秘密の話をしているのか声をひそめて話していたが、12時を回ると慌てて帰り支度を始めた。きっと何か大事な用事があるのだろう。
彼女たちが出て行くのと入れ替わりで亮が店の中に入ってきた。
亮は私を見つけると、軽く手を上げ、イヤホンを鞄にしまいながら私の席までやって来た。
その流れが付き合っていた時とまったく同じで、私は少し苦しくなった。
「……久しぶり」
私は言った。
近くで見ると、亮は少しやせたようだった。顎のラインがすっきりした感がある。
「3ヵ月? いや4ヶ月ぶりかな? 電話、びっくりしたよ。今日は休み?」
私の向かいの席に座り、亮は言った。
「ううん、このあと仕事行く」
「そうなんだ。相変わらず大変そうだな」
ウェイトレスが注文を取りにきた。亮はコーヒーを頼んだ。
「やっぱコーラなんだ。あゆみは。お父さんとの思い出だもんな」
亮は私のグラスを見て言った。
「うん」
私はコーラを一口飲んだ。コーラは氷が溶け、すっかり薄まっている。
「……あの人、だれ?」
私は思い切って本題に入った。
亮の表情に動揺が走るのを私は見逃さなかった。
「あんなに似た人、自分にそっくりな人、初めて見た」
亮は黙ったままだ。
「……まさか、誰かに整形させたの?」
ありえないとは思いながらも、私は聞いた。
ありえないけど、そうでなければあの女の存在の説明がつかないのだ。
「そんなことするわけないだろ!」
亮は大袈裟に笑って言った。
「だって! あんなに似た人……いるわけないじゃん」
「それが、いたんだよ」
「そんなわけない。あり得ないよ。あんなに似てて……。整形なんて……亮おかしいよ」
「ちょっと待てよ。思いこむなよ。俺がそんなことすると思う? それに、そんなこと許す女がいると思う?」
私が黙っていると、亮は続けて言った。
「最初からそっくりだったんだよ。俺が間違えるほど……」
2人で沈黙していると、ウェイトレスがコーヒーを置いて行った。大き目なマグカップになみなみとコーヒーが入っている。
「彼女は誰なの?」
私はもう一度聞いた。
「誰だっていいだろ、あゆみには関係ない」
「関係なくないよ!」
亮の言い方に腹が立ち、つい大きな声が出た。客のいない店内にその声が響いた。
「……ドッペルゲンガーって知ってる?」
私は自分を落ち着かせるように、声のトーンを落として亮に聞いた。
亮はコーヒーに手をつけず、黙って聞いている。
「世の中には自分にそっくりな人が3人いるって」
彼女の姿を見て以来、私は自分とそっくりな人と出会う可能性についていろいろと考えていた。
双子の可能性。
整形の可能性。
そしてドッペルゲンガーの可能性。
私はネットでドッペルゲンガーについて調べた。
ドッペルゲンガーとは自分とそっくりの姿をした存在だ。
「自分のドッペルゲンガーを見ると死ぬ」などと言われていて、恐れられている。
こんなオカルトチックな可能性はあまり口に出したくなかったけれど、あそこまでそっくりな人を見せつけられると、常識とか非常識とかの概念は吹っ飛んでしまった。
「あいつが化物だって言うの? バカバカしい」
亮は呆れたように言い、コーヒーのマグカップを手に取った。
「だったら誰なの? 教えてよ」
ため息をつき、マグカップをテーブルに戻した亮は私を見据えた。
その目から何の感情も読み取れなくて、私はどきりとした。
「さっきからさ……。どうしてあいつがあゆみに似てると思うの?」
「え?」
「あゆみがあいつに似てるのかもよ?」
亮は言った。
私があの人に似ている?
「あゆみがあいつのドッペルゲンガーなんじゃないの?」
「亮……」
私は意地悪く言う亮の表情を愕然として見つめていた。
「いいこと教えてやるよ」
亮はテーブルに身を乗り出し、私に顔を近づけた。
私は亮の歪んだ唇を見ていた。
亮は私を傷つけるようなことを言おうとしている。そう分かっているのに、聞かずにはいられなかった。
「あいつ、顔はそっくりだけど……カラダはあゆみよりずっといいんだぜ」
亮は固まっている私を満足そうに見やると、落ち着いた様子でコーヒーを啜った。
そこにいるのは慣れ親しんだ亮ではなく、まるで知らない男の人だった。
あんなに共に過ごした時間があったのに。
つい最近の話なのに。
私たちはいま、互いに警戒し、自らが傷つけられないよう身を守り、そして相手を攻撃しようとしている。
「……私たち、本当に終わったんだね」
そう言うので精一杯だった。
私は無意識に伝票を持って立ち上がった。
「ごちそうさま」
亮は私が持った伝票をちらりと見やって言った。
一刻も早く店を出たくて、私は足早にレジに向かった。
伝票を店員に渡し、見るともなくケーキの並んだケースの中を見る。
照明の当たった色とりどりのケーキが美しく並んでいる。
けれどそこにはモンブランもショートケーキも見当たらなかった。
(つづく)私になりたかった私 #9 「麗」はこちらから。