私になりたかった私 #7 「あゆみ」
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私になりたかった私 #6 「あゆみ」はこちらから。
私はタクシーに乗り、円山町にやって来た。
このあたりはホテル街なので、カップル率が高い。
やたら体を密着させたカップルが私の横を通り過ぎていく。
ホテルのギラギラとした看板を見上げながら、私はそのクラブを目指し、急な坂を駆け上がった。
クラブの前には若者たちがたむろしていた。
彼らはまるで何日もそこにいるかのように、風景に馴染んで見えた。
私は彼らの間を縫うように早足で歩き、クラブの入口に向かった。
クラブの中は暗く、くぐもったダンスミュージックが聞こえている。
ずんずんと振動が伝わってくる。
1年くらいこういう場所に出入りしていなかった私は、少し緊張していた。
「ちょっと、お金!」
男の声がしてハッとした。
私は受付を通り過ぎていたのだ。
「あ、すみません。いくらですか?」
慌てて財布を取り出した。
「ワンドリンク付きで3千5百円です」
やせた顔色の悪い男性に金を払い、チケットを受け取ると、他の男性が扉を開けてくれた。
その途端、耳をつんざくような大音響の音楽が扉の中から溢れ出てくる。
扉の中には別世界が広がっていた。
チカチカする照明の中、無数の人が蠢いている。
フロアは見渡す限り、人で埋め尽くされていた。
大勢の若者の間を縫いながら私は亮を捜した。
けれど、あまりに混んでいて歩くのもままならない。
とりあえず何か飲もうと、私はドリンクチケットを手にカウンターへ向かった。
「ラムコークください」
やっとカウンターに着いた私はカウンターの中の男に言った。
「え?」
音楽に合わせてノリノリで体を揺らしていたカウンターの男は大きな声で聞き返してきた。
「ラムコーク! ください」
半ば叫んで言い返すと、男は頷いて、入れ墨の入った腕をラムの瓶に伸ばした。
じっと彼の手元を見ているのも気が引けて、私は何気なくフロアを見渡した。
その時、心臓が止まってしまうかと思った。
ソファ席に亮と、自分と瓜二つの女が座っているのが見えたのだ。
亮とその女は楽しそうに他のカップルと話していた。
「お姉さん! お姉さん!」
男の声で我に返り、慌ててカウンターの方を向いた。
「可愛いからおまけしちゃったよ」
見ると、ラムコークにはハイビスカスの花が浮いている。
「ありがとうございます」
男に作り笑いで答えた私は、ラムコークを受け取り、ソファへ向かって歩き出した。
心臓がドクドクと、飛び出しそうなくらい鳴っていた。
見ると、亮と女が座っているソファと背中合わせになっているソファが空いている。
私は亮の様子を窺いながらそのソファへ向かい、そっと座った。
すぐ後ろから女のはしゃいだ声が聞こえてくる。
「この人は亮、私は麗」
「よろしく!」
亮のご機嫌な声も聞こえてくる。
恐る恐る肩越しに見ると、亮の肩に顔を乗せている彼女の横顔が見えた。
その顔はやはり自分とそっくりである。
彼女は手に持っていたグラスを口に運んだ。
そのグラスを見て、私はハッとする。
それは私が飲んでいるのと同じ、ハイビスカスの花が浮いたラムコークだった。
冷たい感触で驚いて見ると、私はいつの間にかパンツの上にラムコークをこぼしていた。
ハイビスカスの花が床に落ちる。
パンツが濡れて太ももに貼りつき、気持ちが悪い。
それでも彼女が気になって仕方がない。
私は彼女に視線を戻す。
その時、突然彼女は濡れた唇を亮の首筋に押し付けた。
「つめて!」
亮の驚いた声がした。
私は反射的に顔を背けた。
「おい、やめろ! 麗! やめろって! まったく」
背後から亮の笑い交じりの声が聞こえてくる。
私はグラスをテーブルに置き、震える足で立ち上がった。
必死に人をかき分け、逃げるように出口へ向かう。
あれは誰?
あれは誰?
あれは誰?
クラブから飛び出した瞬間、私は堪えきれず電柱によりかかり、思い切り吐いた。汚物はラムの味がした。
「うわ、きたね」
誰かがそばで言ったけれど、気にする余裕はなかった。
頭は混乱し、気持ちが悪く、視界は涙でにじんでいた。
とにかく亮に会わなくては。そればかりを考えていた。
(つづく)私になりたかった私 #8 「あゆみ」はこちらから。
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