私のお気に入りの考え方〜宇宙はなぜ生まれたのか〜
どうも🪐🐏です
今日も相変わらずおとぎ話みたいなお話をしようと思います
Q.宇宙はどうして始まったのか
A.「知りたい」と思ったからだ
という話を聞いたことがある
宇宙が始まる前
何かしらの存在が「知りたい」と思い、そのために宇宙を創ったと
おとぎ話にしか聞こえないよね、わかる
でも、実は結構、世界を受け止めるのに役立つ考え方だと思う
例えば「欲」について
例1
「自分は素敵な恋人が欲しい!自分を愛してくれない人が悪い!そんな人を容認している世界が悪いんだ!自分を愛してくれよ!そう思うだろ、思わない方がおかしい!自分はこんなに素敵な恋人が欲しいのに!」
これは欲
どのベクトルに向けても「愛」は無い
だからいつまでも満たされない
例2
「自分も素敵な恋人と一緒に幸せな時間を過ごしたいな。自分にとって素敵な人ってどんな人だろう。ああ、自分はメンタル弱いし、辛い時に優しい言葉をかけてくれる人かな。そういう人が愛しくなるような人になろうっと。まずは辛い時に素直にそれを言えるようになろう...できれば可愛く言えるようになろう...!それから、ずっと気にかけてくれてる◎◎さんに相談してみよう...!」
これは愛
自分に対しても、将来の恋人に対しても、自分を気にかけてくれる人にも「愛」がある
「建設的かどうか」は「愛であるかどうか」のわかりやすい目安になるかも知れない
ただ、建設的じゃない=愛じゃないとは限らない
これはこの後を読んでもらえればなんとなくわかると思う
で?
宇宙が「知りたい」と思った話が、何故欲と愛を理解するのに役立つのか?
それは
①知るために=湧き上がった想いのために
②宇宙を創造して=自分にできることをして
③人間に代わりに体験してもらう=素直に人に頼る
の構造がわかりやすいからだ
①を「欲」と言う場合もあるから、つまりは↑の例え話の例1さんも、②と③をはじめれば例2さんのようになれる
例1の段階で腐った自分を受け入れて乗り越えた分、より器が大きくて魅力的な例2になるかもしれない
おそらくだけど、③で躓く人が多いと思う
私もそうだ
もちろん、嫌がる人に強いるのは愛とは真逆の行為だけれど、実は嫌がらない人も多いのだ
むしろ能動的に、積極的に「力になりたい」と願う人も多い
人は、人の役に立ちたいものだ
だからこそ「尽くした相手のことを好きになってしまう」みたいな心理テクニックが語られたりするのだと思う
人間は皆、宇宙と共に創造されて「創造主の代わり」に様々なことをしている
という仮説を立てると、人が人の役に立ちたい理由もわかりやすいんじゃないかな
(狩猟採集時代は苦なく周りを助けられる人の方が群れに必要とされて生き残りやすかったとかもあるんだろうけど、それはまた別のお話)
例2さんの大事な部分
パッと見ただけでも、例2の人の方が「素敵な恋人が欲しい」という想い(欲)が叶えられそうなのは理解できると思う。
冷静に自己分析して、他の人の幸せも同時に願いながら、自分にできることをして、人に素直に頼る。
出来そうで出来ないことだ。少しでもやれている人は本当にすごいよね。
で、さっきも書いた通り③の「人に頼る」がみんなあまり上手じゃない。
ただ、③にいく前に、②をしていることの大事さって、思っている以上に大きいんじゃないかなと思うんよね。
勘違いしないで欲しいのは「努力もせず周りを頼ってばかりとは何事か」という意味ではないんだ。
もちろん③に行きたい時に②をしていた方が助けてもらいやすいってのもある。個々の力には限界があるから、みんな注ぐ対象は選びたいもんね。
(その選び方が実際の能力の高さとは全くイコールじゃないのはこの世界の面白いところ。)
で、②の何が重要かって
「自分にできることをする」=「自分の力、時間、命を活かす」=「自分を愛する」
という図式が成り立つこと。
あなたに愛しくて可愛くてたまらない子どもがいるとする
犬でも猫でも良い
そしたらなるべく栄養のある美味しいご飯をあげて、身なり(毛並み)を整えて、たくさん撫でて、出来たことはめちゃくちゃ褒めて、苦手なところは受け入れつつ生きるのを邪魔しないように一緒になって鍛えてあげて、思わず写真や動画を撮って、それを人に「こんなに大きくなったよ」「この前お遊戯会で踊ってさ」「この前ボールとってこいできるようになってさ」と見てほしくならないか?
「犬や子どもだからでしょ」と思うかも知れないけれど、大人の人間だってそうだ
「見て見て見て」とやりすぎるのは子どもでも動物でも周りがうんざりするけれども、大人の人間だって、たとえそれが自分のことだって、たまには「見て...くれる...?」とやっても良いのではないか
みっともないかも知れないけど、それで次のやるべきことをやる力を手にできるならいいのではないか
「見て...くれる...?」をなるべく臆さずやるために「今自分にできること」をまずやるのではないかな
別に「見て…くれる...?」が必要ないならそれも良い
そもそも健全な社会人だったら、対人関係なり仕事関係なりで他の人間と接する機会があり、その機会がどんなに浅く一瞬であろうとも、それらは人間の「自分は群れの中できちんと生きている」と思うための器を満たしてくれる
それで充分な人もいれば、+αが欲しくなる人もいる
それぞれだ
その人の器や性質、そこに入ってきているものや環境、それぞれ違うのだから当たり前だ
子どもや犬猫に良い栄養を与え、なるべく能力を伸ばして活躍させてあげたいと願う気持ち
そういうものと似た類の何かで、人は自分に向き合い、鍛錬する。今やれることをやる。
自分を愛することと、他者を愛することと、世界や宇宙を愛することは、とても似ている。同じと言ってもいい。
やり方さえわかれば、愛のベクトルは一方向ではなく、全方向であるとわかるはず。
もしまだ繋がらないって人は、角度を変えて、宇宙がなぜ生まれたかの話を思い出してみて欲しい。
あなたの人生は
創造主が「知りたい」を叶えるために
創造主の代わりになるべく与えられたもの
ここまではok?
つまり、創造主の「知りたい」の中にあるものしか、あなたの「想い」「欲」は生まれてこないのだ。
ここで勘違いすると大変なのは
「楽して儲けたい」
「怠惰にハーレム作りたい」
みたいなのは「想い」「欲」としては歪んでいて、つまり「創造主の知りたい」とは少し違うということ。
まず、なぜ「儲けたい」のか?「ハーレム作りたい」のか?「恋人欲しい」のか?なぜ「楽」や「怠惰」が良いのか?というところ。
そこを掘り下げて突き詰めていくと
「安らいでいたいんだな」とか「知的好奇心満たしたいんだな」とかになったりする。
「美味しいもの美味しく食べたい」とかかもしれないし「猫さんのお世話させていただきたい」とかかもしれない(?)
その本質的な「想い」「願望」が「創造主の知りたい」の中のものだ。
「創造主の知りたい」については、正確に把握できさえすれば、宇宙生み出すくらいのマジもんの創造主がサポートしてくれるはずだ。
だってそのために世界作ったんだもん。
そんな有能な存在が無駄なものまで作ると思うか?
「それ無駄でしょ!!」ってツッコミ入るようなものでも、3万年後とかには「あれが役に立った…だと...?!」って周りが驚くようなものしか作らない気がする。
少なくとも「無駄かも〜🌟」と思いながら作っても、後から「あっアレ使えるじゃん」と引っ張ってきて見事な伏線回収的な空気を醸し出す、売れっ子漫画家みたいな能力絶対持ってると思う。
むしろ売れっ子漫画家のあの能力こそ、創造主の能力を与えられたものなのではないだろうか...?!
つまり純粋な願望に立ち返った時、その「想い」「願望」は持つべくして持っている。
それを叶えるために自分にできることをすると、創造主側が
「おっ、ワシの願望に正確に気付いてくれとるな!感心感心。命を授けた甲斐があったわい。あのアバターは使える子…とメモメモ」
と「本格的に動かし始めるアバター」として認識してくれる。
そうすると他のアバターを使って気付くべきヒントや必要なアイテムを与えてくれやすくなる。
我々はみんな主人公でありモブだから、誰だって、気づかないうちに、どっちの立場にもなっている。
よくアプリのゲームとかで「私がログインしない間フレンドが共同作業に使ってくれたみたいでなんか知らんがレベルアップしてる」みたいなのあるじゃん?
あれ、共同作業に使ってもらえるのって、自分の手持ちの中でもある程度までレベル上げしてるやつだよねほとんどは
目的を理解して自己研鑽すると、それに近いことが起きやすくなる
「自分を愛する」=「自分の命を使い、本当の願望を叶える」
そのために「できることをする」というのは、創造主に、そして周りのプレイヤーに「この子使いどころあるかもしれませんよ〜!チラッチラッ」と出来るようになるってことだ。
ここで重要なのは、周りの対等なプレイヤーだけではなく、創造主にもそれが伝えられること。
めっちゃユーザーのこと見てくれてるタイプの運営
意識的に目の前のハードルを超えて自分のレベル上げをするというのは、おそらく運営から見た「課金」に近い行為だと思う
もちろん無課金でものすごいとこまで行ってるユーザーも居るのだが、ゲームの腕なり、周りとのコミュニケーションなら、何か理由があってレベルアップしているのだ
お金だとしても労力だとしても、創造主の作った世界とアバターのためにそれらを「注いでくれている」というのが重要
助けてもらえそうな周りのプレイヤーに声かける勇気も実力もない、もしくはそれを表に出せていなかったら、俺たちは課金(自己研鑽)するしかないんだぜ….
この世界でも課金は効果があるし、加えて自己研鑽で変わっていくものがある
もし「こんなに自己研鑽しても何も変わらない!」という場合は「この人こんなにレベルアップしてる」「こういうところで活躍する」とわかってもらえる機会が少ないだけだ
元々人気キャラのアバター使ってる方がマイナーキャラのアバター使ってるよりも誘ってもらいにくいとかあるけどな!しゃーないよな!そのアバター&願望なりの育て方、楽しみ方、活躍させ方をすりゃええんじゃ。
そのための手段が②ってワケ
苦しいことと幸せなことは1:1って言うけど
仮に様々なことを知りたい、経験したいと願った創造主ならば、苦しみも哀しみも、喜びも満足も、失敗も成功も、達成も成長も、停滞も敗退も、全てに対して平等に「知れた!」という喜びを感じるはずだ
実はその分、「光と闇は1:1である」というよく言われる法則は違っていると思う
「知れた!」という創造主の歓びがある分、この世界は少しだけ幸せに傾いているんじゃないかな
そう思うと気持ちも少し明るくならないか?
そしたらその分また、幸せに傾くねウフフ
それもあって私は
「創造主は知りたいと思って世界を作った」という考え方が好きだ
採用するもしないも「あなた次第」だけど
少し幸せに傾いた天秤の上に居たら、物事の本質や中庸を見失わないかって、私は不安になるタチだから付け加える
その天秤でっかすぎるやつだから、我々小さきものがどこに居たところで見える世界ほとんど変わらん🖐️たぶん
ならばまぁ、少しでも自分の心身が軽やかな方がいいよね
その方が①も②も③も、上手く出来そうじゃない?