『SONG OF EARTH』感想

※この記事には、公開されたばかりの映画『SONG OF EARTH』のネタバレが含まれます。
内容を自分で知りたい方はぜひ鑑賞後にお読みください!



息を呑むような美しい大自然に囲まれたノルウェー西部の山岳地帯「オルデダーレン」。本作は地球上でも有数の壮大なフィヨルドを誇るこの渓谷に暮らす老夫婦の姿を、その娘でありドキュメンタリー作家のマルグレート・オリン(『もしも建物が話せたら』など)が一年をかけて密着。大地に根を下ろし、シンプルで豊かに生きる両親の姿から、娘は人生の意味や生と死について学んでいくことになる。生きるとは、老いるとは何か――厳しくも美しいノルウェーの四季と共に生きる家族の姿を通して、人生を探求する感動のドキュメンタリーだ。

https://www.transformer.co.jp/m/songofearth/


映画を見ようと上映スケジュールを確認した時にタイトルを見つけた。
そういえば少し前にインターネットか何かでちらっと宣伝を見たなと思い出し「ノルウェー」という単語に惹かれて鑑賞してきた。

私は1年半ほど前からちまちまとデンマーク語の勉強をし、デンマーク、ノルウェー、ウェールズへの憧れを日々強めている自称宇宙羊である。
北欧展と聞けば行きたくなるし、北欧の商品と聞けば買いたくなる。
「北欧」と括ってしまうのはあまり大雑把なので少し詳細に話すと、私が行きたいのは主にデンマークで、その次にノルウェーのベルゲンという街だ。
これについては話始めるとそれだけで2万文字くらいになるので割愛するが、今回映画の舞台になっているノルウェーのオルデダーレンは、私の憧れる街ベルゲンよりも少し北東にあるらしい。

映画が始まってすぐ、美しすぎて逆にCGなのではないかと思えてくる雄大な自然が、スクリーンの向こうにどこまでも映っていた。
氷が軋む音。白と水色の世界。アナと雪の女王はノルウェーが舞台だと聞いたことに深く納得した。

私が憧れたノルウェーは、少なくともGoogleで調べる限り、映画の中に広がる荘厳なまでの大自然とは全く違う。
冷静に考えれば、日本にだって美しい田舎の風景や険しい山があり、文化と歴史を内包した京都のような土地があり、さらには東京のような人工物の極みまで存在するのだから、当たり前といえば当たり前だった。
私が興味を持ってきたノルウェーとはかけ離れた映像美に魅入ると共に、蒙を開かれる思いだった。

少し前に仕事で一緒になったオーストラリア出身の女性が言っていたことを思い出した。
「たくさんの国を回っているけど、ノルウェーが一番好きだった。ノルウェーの自然は素晴らしい」
よくよく考えると、確かに一般的にはノルウェーと言われてまず想像するのは、スクリーンの中で次々と存在を見せつける強く厳かな大自然の方かもしれない。

冒頭で、密着しているご夫婦のうちの、奥様の方は歌を口ずさむ。きっとその土地で歌い継がれている歌だ。
そういう歌っていいよね。
私はそうやって時空を越える歌が好きだ。その歌を歌えば、すぐに100年前の人たちが歌った光景が見えてくるような、そういう歌が好きだ。
すごく「歌」として価値のある歌だと思う。
日本にはこういう、土地とそこに根付く人の美しさを歌う歌はあったのだろうか。
きっとあったんだと思う。まだ私が知らないだけだ。調べたら出てくるかしら。

デンマーク語の勉強を始めた理由はいくつかあるけれど、そのうちの一つは「響きが好き」というものだった。
英語も好きだった。けれど無性に苦手意識があった。
「英語も出来ないのにデンマーク語なんか勉強できないだろう」と思い込んでいたけれど、偉大なアプリDuolingo大先生のおかげでその思い込みを払拭出来た。

ノルウェーとデンマークの言葉は割と似ている。と思う。
ちまちまと勉強してきたおかげで、節々で(もちろん字幕の助けを借りながら)単語が理解できた。
単語(言葉)が理解できた時、そこに宿る、その言葉を使う人間の温かみみたいなものが感じられるものなのだなと、改めて。

音が印象的な映画だった。
自然が発する音を存分に使って、映像と私たちの意識を繋げてくれる。
氷が鳴る音。ミシミシ割れる音。
氷河が砕ける音。雪崩の音。
風の音。水の音。波が跳ねる音。木々の揺れる音。鳥の声。

人が作った『音楽』は極力使わず、自然が奏でている音だけをひたすら聴かせてくれた。

この映画のタイトルに納得した。
この大自然の中に足を踏み入れたら、本当にこんなにうるさいほどのオーケストラが流れているのだろうか。
もしかすると、耳を澄ませること、その音を聴くことを身につけているーーもしくは忘れずにいる人間だけがその音を聴いているのだろうか。
想像せずにはいられず、今は想像するしかない。
ドラマチックに組み合わされた自然の音が、映像としての展開をわかりやすく誘導し、提示してくれていた。

空を飛ぶ視点で眺める四季の山々、湖。
山の上に広がるどこまでもどこまでも白い風景や切り立った岩山が広大すぎて、美しすぎて作り物に感じられる。
CGだよって言われたら多分「へー、すごい!」って言っちゃう。
人間が美しく雄大なものを作ろうとした時作っているものは、おそらく映像に限らず、地球や宇宙がやったことをなぞっているだけなんだなと思った。(なぞれるようになったことがすごいことなのだが)

そして何より、人間が自然の一部であることを突きつけてくれる映画だった。
自然のサイクル、時には猛威で刈り取られる人間の命と、そこに必ず存在する人間の悲哀を包み込み、そのまま肯定してくれる映画だった。

映画の序盤で、何度もご夫婦の旦那さんの肌が映る。
初めは、自然に耳を澄ます、その耳の周辺から。
耳毛や産毛がそのままの、歳を重ねた、けれど健全な肌。

私はこれまで、人間の肌が嫌いだった。嫌いまでは言い過ぎかもしれないけれど、あまり馴染みがなかった。
人間としてウン十年生きているというのに不思議な話ではあるが、細かく皺の入った柔らかな皮膚組織を見ることは「気持ちが悪くて」好きではなかった。まして、さらに馴染みのない異性の肌となると尚更だった。

そのはずが、画面に何度もアップで映るお父様の肌を見て
「ああ、生きている、生物なのだな」
と、なんの抵抗もなく。


産毛が生えた肌から切り替わって映る、草木がわずかに生えた土地。
細かな皺が所狭し張って自由を保障する肌の後には、亀裂の入った大地や氷河が映る。
流れる水は、私たちで言えば血液か。

雄大だ、荘厳だ、美しいと眺める地球の肌が今踏みしめる大地なら、なんのことはなく、人間も同じようにただ生きているだけの生物なのだな、と。
人間の身体に無数に菌が存在して役割を果たして私たちを生かしてくれているように、私たちは地球に存在する菌みたいなものか。

思わず自分の腕や手のひらの皮膚を強く意識した。
これまで薄っすらとした嫌悪感と違和感を伴う異物であったはずの自分の肌や、それに包まれる内臓、筋肉、血液、それらを構成する細胞、全てのものが、地球と同じくただここに在る、生きている生物、生命そのものなのだと理解った。

頭でわかっているのと、体感で、細胞一つ一つで思うのとは訳が違う。
こんなに全身の隅々まで「私」が居る体験を、私はあまりしたことがなかった。

これまで、肉体を持っていることは、私にとっては基本的に煩わしいことだったのに、初めてこんなに熱く自分の肉体に対して愛情と愛着が湧いた。感謝と面白さに気がついた。

映画が進み、風景は春になり、夏になり、秋になる。
虫のドアップも映る。昔の私だったらギョエっとしたかもしれない。
けれどその時には、私はもう「私は地球と同じ、ただ生きている生物である」とわかっていたから、虫のことも同じように見られる。

動物が映るとつい口角が上がった。私は動物が大好きだ。
フクロウさんと鷲さんは特に良かった。

冬に向けて時間が進むと、息絶えて血を流した動物の死骸が映った。

何度でも言うけれども、私は動物が大好きだ。
痛々しい動物の映像や話は基本的に地雷なので、できる限り避ける。
サバンナで弱肉強食の世界を撮影したようなドキュメンタリー、あれは美しく格好良く可愛く尊く、そして辛い。あまり長いこと見られない。

一瞬動物の死骸だとわからなかった。
わかったその瞬間はハッとしたけれど、大きなショックはなかった。

だって「私も、虫も、動物も、地球と同じようにただ生きている生物」で、皆同じように産まれ、生きて、変化し、死ぬ。
肉体という個の存在から離れて、また地球に(宇宙に)還る。
その当たり前が繰り広げられているだけで、悲しいことにも、痛ましいことにも見えなかった。


虫が苦手だったり、集合恐怖があったり、不安を煽る大きな音が苦手な人には、正直手放しでお勧めすることは躊躇う映画だった。

起承転結のわかりやすいエンターテインメントを求める人にも向かないかもしれない。
現に私の数席横に居た男性は中盤気持ち良さそうに眠っていた。
いやでも、逆に、確かに気持ちよく眠れるような時間だった。

けれども、日常や自分自身・繰り返す生命に期待することを忘れてしまっているような感覚の人は、見たら少しだけ何かが変わるかもしれない。
変わることを期待して見るような映画ではないけれど、期待なんかしなくていいという現実に、納得できるようになる。
そういう映画だと思った。

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