三浦祥敬さんに出会って♪
先週、お友達のFacebookの投稿で知った三浦祥敬さんに会った。
祥敬さんは、唐揚げをあげて無料で提供しながら全国を行脚する活動をされている。
生きていくのに必要な分と、唐揚げをあげる材料や場所、泊まる所をご縁ある方に提供(お布施)してもらっている。
私は、小さい頃から出家に憧れていたので、何も持たないことをやってみたいとは思うものの、現状は専業主婦で子育てをしているので、実行しずらい。
私が持っているお金は、そんなに多いわけではないけれども、減ると不安になるし増えても安心できない。
祥敬さんは、意図的に所持金を0リセットして、そこからまた新たにお布施を募る。
私は、彼の生き方が響いたので1食分くらいのお布施をペイペイで送った。
そうしたら、彼からメッセージとご縁(5円)が送られてきた。
そのちょっとしたやり取りで、今まで感じたことのない心の温かさを感じた。
メッセージのやりとりをした時に彼は関西にいたので、東京に来たら会いたいですと言っていたら、3日後くらいに会えることになった。
初めて会った祥敬さんは年齢不詳な感じで、お遍路さんみたいに白い装束がしっくりしていた。
一緒にお蕎麦を食べながらいろんなお話を聴かせてもらって、お店のラストオーダーになるまで2時間ほどがあっという間だった。
お話の内容は、祥敬さんが鬱になってから仏教の教えを元に生き方を見つめ直してきたこと。
お話の内容もとても感銘を受けたけれど、私が一番すごいなぁと感じたのは、食べ物をいただく前や後、お店の人や私に対する丁寧な接し方だ。
私の言語力だとそれを十分には表現できないのだけれど、自らの命を続けていくための食べ物、それを作った人・運んだ人・調理した人・提供した人、すべてに対する感謝が滲み出ていた。
その姿が、美しくて感動した。
今も思い出しただけで、勝手に涙が出る。
私は、毎日ご飯を食べるのは当たり前で、今日は本当はスパイスカレーが食べたかったのに娘がルーのカレーをリクエストするから、仕方なくルーのカレーを渋々食べる、みたいなのが日常茶飯事だ。
たまに、自分が収穫した野菜があると、いつもより美味しいと感じたりするけれど、そんな機会は1年に1度あるかないか。
ケーキが食べたいなと思えば、コンビニですぐ手に入るし、明日は焼肉食べたいな〜とか言って焼肉食べに行く。
お肉が本当は生きていたことさえ、ほとんど感じることはない。
お野菜だって、作っている人がどれほど大変な作業をして育てているかも、イメージすらしない。
お布施で行脚する祥敬さんの在り方をみて、人として生きることの根源を感じた気がする。
そして現代社会に生きる自分が、生物として生きることに対して意識が薄っくなっていることに気づいた。
食べることは好きだし作ることも好きだけれど、それ以前の自分の手元に来た食材たち、元は生きていた生命をいただく感覚を意識していきたい。
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