私 が観ているのは、 幻
昨日、私はずっと観たかった映画『キングダム 運命の炎』を観た。
しかも、ポイントカードが溜まっていて無料で観ることができた。
しかし映画に没頭する以前に、隣の人がずーっとお菓子を袋から出して食べる音に邪魔されてなかなか物語に入っていけなかった。
この人は、上映前の注意事項をみなかったのか?
そんなにお菓子を食べながら映画が見たいなら、サブスクで見ればいいのに。
そんな雑念に思考が引っ張られて、私の中では隣の人への怒りが湧いた。
前半の感動のシーンが終わるときまで、彼はお菓子を食べ続けた。
私は、彼の耳元で「それ以上、食うな!」と殺意を込めて囁く妄想をして怒りを和らげようとしたが、そうした場合に相手に逆ギレされて私に被害が及ぶところまでイメージしてしまったので、実行には移さなかった。
そこで、最近呼んでいる妄想癖の主人公の漫画を思い出し、隣の人はお菓子を食べ続けないと死んでしまう恐ろしい病に冒された人、と妄想したら私の怒りは消滅した。
私が観ているもの感じていることは、私という曖昧なものがみている幻想だと、私がよく読むスピリチュアル本には書いてある。
私が、” 私 ” だと感じているのは、私の脳内で認識しているものだ。
隣の人が病気でお菓子を食べ続けないといけないのならば、それはいい。
隣の人がただ単にお菓子が食べたいだけなのならは、それは悪い。
そう判断しているのは、” 私 ” の観念だ。
映画の上映前に通達される、禁止事項に反した行為に対して怒りを感じるのは、それはやってはいけないことだと私が思っているからだ。
世の中で言われるルールに反した行為は、私が従わされているものなのだから、すべての人が従わないといけないと刷り込まれている。
もしそのルールからはみ出た人がいても、ある程度のことなら周りの人が優しく余裕があれば許される。
でも周りの人が余裕がなければ、その違反行為を批判されるだろう。
人のことは、私がコントロールできることではない。
私ができることは、私に集中することだけだ。
関わる人がどんなに変な人であろうとも、私の今という時間をどう過ごすかを決めるのは自分だから。
私は、自分が納得する理由の妄想を使って怒りを消して、映画の後半を集中して楽しむことができた。
私が映画に没頭して号泣したり、怯えたり、応援したりしていたら、隣の人もいつの間にかお菓子を食べるのをやめていた。
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