病のおかげでフィルターがとれた
今日は、晴れた。
2週間ぶりの仕事がはじまり、家事で疲れて、めっきり寒くなった朝おきるのが辛い。
そんな普通の日常生活が、ありがたく感じる病み上がり。
本当にふつうに動けて、ご飯をつくって、家族みんなで一緒に食べられることが、幸せだなぁと感じる。
9月の後半にコロナ感染をして、3日間は食事もほとんど取れずに高熱に苦しみ、5日経ってやっと動けるころに夫が感染。
夫の看病と娘が感染しないように配慮しながら、まだまだシンドい体で動いた。
10日経つころやっとなんとか仕事に行くことができたけれど、少し話しをするだけで息切れする状態だった。
私のその状態をみて、厳しい指導係のAさんが重いものを運ぶ重労働の仕事をやってくれた。
仕事を始めて2週間は、Aさんの指導が厳しくて小姑みたいに感じて嫌で嫌で仕方なく、仕事を辞めようとまで考えていた。
それが2週間のお休みをもらい復帰した私のフラフラな状態をみて、ベテランのAさんが新人のやる重労働を代わってくれて、涙が出るくらい有り難かった。
そして、病に倒れる前の私はAさんの嫌な部分しか感じられず、その狭い視野からみえる部分だけで嫌な人と決めつけていたことに気づいて、病に冒されたことに感謝した。
私は、10代のころからたびたび病気で倒れることがあったが、その度に神様と親を恨んだ。
なんで、私ばっかり病気にならなくちゃいけないのか、と。
でも今回のコロナ感染は、今が酷い状態でもそれほど長く患わないことが分かっていたし、発熱が高すぎて何も考えられなかった。
ただ体の痛みと苦しみを感じるしかなかった。
なにも食べずに水分だけで生きている体と、コロナウィルスと戦ってくれている体の免疫たち、自分という意識が発熱で薄れていて体のたくさんの細胞たちが私というものを形成しているのを感じた。
病み上がりで体がまだ本調子ではないなかで、今まで苦手だった人たちの私が感じられなかった優しい面がみられて、神様が用意してくれたシナリオに感動した。
熱が下がったあとも隔離のためにベッドでアニメの『キングダム』を観ていて、その中で秦の王様が言っていた言葉が心に沁みた。
”人間の本質は、光だ。”
自分が持つ刷り込みや偏見などに阻まれて、なかなかそうは感じられない人もいるけれど、外側のフィルターをタマネギの皮のように取っていけば、大元の芯の部分はみんな光なんだと思う。