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思春期は感染る〜卒業式直後の旅立ち、彼女は進学先の制服を着て2度と会えない先輩を見送りに。

思春期は感染る。と教えてくれたのは、仕事で出会った中学校教師の方だった。私はこの3年間、ムスメの13,14,15歳を通して感染しまくっていた。友達、部活、仲間、恋……全て細かく彼女から聞いたわけではない。けれど、情景が浮かぶほど、さまざまな話を生き生きと語る彼女のネタは、仕事から疲れて帰った私の新鮮な酒の肴になり煌めいていた。友達はいたけど、家で1人で何かすることが好きだった私にはなかった、羨ましい青春。


彼女の日々は漫画や映画みたいだった。突然卓球に惚れ込み、女子ゼロの卓球部に飛び込み、10年続けたバレエに決別しバッサリ髪を切り、稲中卓球部並のキャラが濃い男たちに鍛えられ、彼女は大きな大会に出るようになった。その頃から部活だけでは物足りず、クラブチームに入った。クラブチームには、大学生、高校生や他校の小中学生が在籍しており、そこでまたさまざまな出会いがあった。やがて彼女は受験生になり、苦手な数学を大学生のお兄さんに時々教えてもらうようになった。へえ、そんな優しいお兄さんがいるんだ。ああ、去年9月の大会のときに最後まで応援・助言してくれたおかげで初優勝し、アイスをおごってくれたあの子か。アイスを買ってもらい楽しそうにクラブチームのお兄さんお姉さんたちとはしゃぐ彼女を遠目に私は帰宅した去年の夏の終わり。子どもたちの世界がそこにはあった。私が15の頃、そんな幅広い出会いはなかった。

今年2月の受験2週間前からさすがに彼女はクラブチームに行かなくなった。受験後は進学先の部活に行くようになった。クラブチーム大好きと言いながらも、彼女は新しい生活と卒業式まであとわずかとなった学校での仲間との日々に目が向いていた。

2月28日、学年末試験後、彼女たちの青春は強制終了となった。担任は、こんな形で別れるなんて悔しいと泣き、女子たちも号泣したという。卒業式までのカウントダウンの日々は宝物だった。宝物は歯磨きするみたいに当たり前の存在であるはずだった。あっけなかった。死みたいだった。彼女たちが見送る側のかつての卒業式。卒業生退場時、後輩がつくる花のトンネルで、彼女はかつて先輩たちから手紙をもらったという。私は誰々書こうかな〜、後輩たちマジで天使ばっかり!と楽しみにしていた矢先だった。

卒業式は予定通りの日にちで決行されることになった。しかし、在校生の参加はなし。保護者は1名まで。歌は国歌と校歌のみを歌う。その卒業式まで2回登校日があった。荷物を取りに行く日と学年末の成績を取りに行く日。クラスや学年ごとに時間差の設定で、大好きな後輩たちや、違うクラスの友達とも会えなかったが、その頃、彼女はあることが気になり始めていた。すでに卒業式用に合唱の練習が始まっていた、アンジェラアキの手紙〜拝啓十五の君へ〜…それは彼女が通う中学校の卒業式において、主役たちの醍醐味として受け継がれていた。彼女は仲間の意見を聞いたうえで、職員室に直談判に行った。自分もだけど、みんな歌いたいと言ってる。担任の対応は彼女を子ども扱いすることなく真摯だった。その気持ちはとてもよくわかるしうれしい。管理職と学年主任にも報告する。でも、これは学校では決められない。なぜなら、式で歌っていいのは国歌と校歌のみという、東京都からのお達しだから。彼女は、家で本音をこぼした。国歌なんて歌いたくない。卒業生が歌いたい歌を歌いたい。そんなボヤきを聞きながら、私は戦時中ってこんな感じだったのかな、と思った。

卒業式で子どもたちは泣かなかった。担任も泣かなかった。2月28日、強制終了、解散となったあの日にたくさん泣いたからだそうだ。代わりに、普通の卒業式だったら涙を流さなかったかもしれない人たちが泣いた。校長は挨拶が始まるや、号泣し始め、5分以上まさかの中断。受験のための面接練習であまりの怖さに女子生徒7名が泣いたという、無表情で威厳あるダイの大人の男泣きに、子どもたちは何を感じただろう。保護者でさえ、急病なのかとざわついた。それくらいの長い号泣だった。先生たちは、いつもどおりの普通の卒業式を行えないこと、申し訳ないけど何もしてあげることができない無力さに打ちのめされていた。退場の時が来た。校長の号泣に次ぐサプライズに子どもたちはキョロキョロし始めた。突然、音楽の先生が壇上に上がりピアノを弾き始めた。と、子どもたちの両サイドにいた先生方が旅立ちのときを歌い始めた。本来は、この歌を後輩たちが歌う。退場する先生と子どもたち。普段、AI説があるほどクールな先生が顔をぐしゃぐしゃにして涙をこらえていた。そして、校庭へ。サプライズはまだあった。せーの!でAI先生がアカペラで手紙〜拝啓十五の気味へ〜のイントロを歌い出した。みんなで輪になって、そこから全員で合唱した。みんな笑っていた。先行き見えないけど、15歳たちが笑うと、オーバー40にもその笑顔が感染る。いっぱい悩んで落ち込んで思い通りにならないことがあったけど、予定調和では済まされないことばかりだけど、ごちゃごちゃな気持ちは浄化され、彼女は卒業した、と思ったが、まだ続きはあった。

卒業式の3日後の夜。電話が鳴った。相手の声のトーンに予感はした。それはあの優しいお兄さんの突然の旅立ちを知らせる一報だった。彼女はパニックになった。19歳が死ぬわけがない。卓球一番強かった。高校入ったらタピオカミルクティーとグミと牛乳を買ってくれる約束していた。私だってパニックだ。子を持つ親だからこそ思うこと、順番を間違えてはいけない。なんでなんでなんで? 無常にもお通夜と告別式の案内画像がLINEで届く。享年19歳と永眠の文字にめまいがする。あんなに健康的で強くて優しくて後輩たちに慕われて大人たちに信頼されて。もちろん、私は断片的にしか彼を知らないけど。

お通夜の前日、彼女は中学を卒業したばかりだから、着て行くのは中学の制服?と思って聞いたら、勉強教えてもらってたし、でも、受験のあとクラブチームに報告行ったとき、彼に会えなかったからワンチャンわたしがあの学校に行けたこと知らないかも。だから、新しい制服を着て行って見せたい。と彼女は泣きながら言った。彼女と同じ学校に進み、一緒に卓球部に入るクラブチームの仲間もその親御さんも同じ考えだった。私はそこまで頭が回ってなくて、何だか自分が情けなく思えてきて、さらにはその発想がステキすぎて泣いた。お通夜の日、仕事を早退して私も付き添うことにした。帰宅すると彼女は西日の中、新しい制服を着て髪をとかしていた。いつのまにかザ・JKの雰囲気を醸していた。対面するまで信じないと何度も言った。私は悲しみに暮れる我が子の姿も、この事実ももう、全部から目を背けて逃げ出したいくらいつらすぎて、親とか大人とか演じるキャラを忘れて、卒業式の校長先生みたいに、ここ数日泣いていた。もっと泣くべき人はいるだろうに、何だかもうすごく悲しかった。卒業式の延長上に、その別れのセレモニーはあった。

お通夜は何百人もの若者たちで溢れかえっていた。あまりにも切なすぎる光景だった。写真の彼は小さくガッツポーズしていて大会で勝利した後の笑顔と思われた。世の中はコロナで騒がしく不安な日々だ。しかし、それ以外のところにも悲しみや死や生活は存在する。泣きじゃくりながら彼女は、係の方にお手紙を渡した。昨夜、LINEしたけど既読にならなくて、読んでもらえないみたいだから手紙にしたと泣いていた。既読になるわけないじゃん、と笑いそうになりながらもうまく笑えなくて涙が止まらなかった。なんて書いたのって聞いたら、勉強教えてくれたから行きたかった高校で卓球できるようになったよっていうお礼や、粒ラバー対策してくれたから去年あのとき優勝できたよっていうお礼や、今度生まれ変わったら長生きしてねって……。最後に会ったのは受験の10日ほど前。バッタリコンビニで会って、受験頑張ってね。って言ってくれたと。そのあと、クラブで会えなかったけど、またすぐに会えるだろうから、直接そのとき報告しようと思っていたと。

対面後、彼女は泣きすぎて、段下の自分の新しいローファーがどれかわからなくなり軽くパニックになり、まわりも号泣しながらも、その様子に一瞬空気が緩んだ。その緩みを感じながら、彼もこんなふうな和やかな目線で彼女を見てくれていたのかなと思ったとき、その輪の中にいつも居たはずの彼が居ないんだけど、居るような気がした。履き慣れないローファー、靴ずれするのは目に見えていたから普段ならスニーカーがいいって言いそうなのに、つま先まで新しい制服だよって彼に見せたかったって。卒業したんだね、高校生になるんだね。卒業前もずいぶん色々あったけど、卒業式もエキサイティングでエモーショナルだったけど、まさかこの日に、卒業したことをまざまざと実感するとは思わなかった。

思春期は感染る。いや、体だけは歳を取るが、人は一生思春期なのかもしれない。親は子どものおかげで人生をもうひとつ味わえる。つらいことも、うれしいことも。その人生のひとつひとつ、儚くもあるがたくましくもあり、重さで言えば決して軽くない。


#みんなの卒業式

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