ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね
「友達」ってなんだろう。「恋人」ってなんだろう。こんな思春期みたいな気持ちで、今、1人コーヒーを飲んでいる。
小林賢太郎が自らを役者にした最期の演劇作品、「うるう」。一つ一つのセリフが深く、胸にバイブルのように染み付いている。特に表題にしたセリフ、「ひとりになりたがるくせに、寂しがるんだね」は、直接私のことを表しているようだった。
物心ついた小学生の頃、私には親友と呼べる友達が2人いた。毎日彼女たちと登校して、遊んで、笑い合った。昔から1人が好きだったように思える。そんな2人と下校の時間がズレると、少し嬉しかった。彼女たちが大好きだし、一緒に帰るのがすごく楽しかったのにも関わらず、1人になろうとしていた。
だけど私は孤独だった。こんなに友達に恵まれているのに、ずっと孤独だった。その頃から、イマジナリーフレンドがいた。
中学高校で、友達が変わっても、根底の考えは変わらなかった。1人になると嬉しいし、できるだけ家にいた。
大学生の頃はマシだった。クラスや部活という狭いコミュニティで友達と常に一緒にいなければならない環境とは違い、大学は色々な場所で色々な友達を作ることができたから。それぞれの場面で、それぞれの友達の中の「わたし」を作り上げていった。どこへ行くにも、あえて1人を選ぶようになった。恋人ができても、常に一緒にはいたくなかった。
社会人になって、またコミュニティが制限されるようになった。毎日同じ人と顔を合わせ、会話は昨日の続きになった。しかし今回は「友達」ではないから、必然的に一緒にいなければいけない。避けられない。なのにすごく、居心地が良かった。
誰かといると「楽しい」と「自己嫌悪」が混在する。しかし1人でいると、「楽」と「寂しい」が混在する。
大変面倒くさい性格になってしまった。