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6、夕焼けジュース
昔からお迎えの必要のない子だったと思う。
幼稚園のお迎えラッシュに、母の姿はいつもなかった。決して悲観しているわけではなく、そのおかげでとても自由に生きさせていただいた、と言いたい。
幼稚園が終わったあとも一向に帰らずに園内でだらだらしていたこともあるし、町内パトロールのおじさんに密着して町内の治安を護ったこともある。
小学校になった頃には、終業式の帰り道にフルーツ缶の空き缶に蝉を入れて持ち帰り、夏休みの自由研究にあてようとしたこともあった。缶で持ち帰った蝉がとても弱っていたことに困惑する私を笑う母は、生物が生きていくためには光が必要だと教えてくれた。
今日は随分と天気がいいのに蝉はどんどん弱っていった。
ある日の帰り道、道路沿いの田んぼがずいぶんと賑わっていた。ここの地主のおじちゃんはとても恐ろしいので、また近道として田んぼを横切った友人の誰かが捕まったのだろうと思った。
しかし、近づくにつれて田んぼの中を覗きみる列ができており、覗いては「あらあら…まぁまぁ…」なんて言葉を口にしてぐるぐる列は循環してゆく。
私も列に混ざってみた。ぐるぐる回って、自分の順番がくれば台詞を口にする。小学校での丸音読のようだ。クラスのみんなはその一文の長さに一喜一憂しては、教科書を持つ手を震わせていた。私はその手元を見るのが、割と好きだ。
私の番だ。
覗き込む。
何も見えない。
物音すらも周りの雑音に掻き消され、何も聞こえない。
核心が欲しい。
背が高くなった茂みに沈む。
足が浮いて、その後沈む。
小さな悲鳴が聞こえはじめる。
ーー…ニャー
田んぼに沈む猫を拾い上界に掲げてみるも、受け取ってくれる相手はいなかった。夕日が人々の逆光に堂々と立っていて、だれかの母親は慌てて声を上げ、だれかの子どもは大きな肩を揺らしているのがわかった。私と子猫はずっと落ちたまま、じっとしていた。
「お母さんに連絡しようか?」と言う大人の顔は真っ黒だった。道路にあがると子猫は走り出す。
私はお迎えの必要のない子。
信号待ちをする泥にまみれた少女は、どうやら人一倍目立つようだ。
「チャーチャン、あの子乗っけて帰ろう」
私と同じ制服を着た子どもが自転車の荷台に乗り同じ信号を待っている。
「馬鹿、座るところないって」
「チャーチャンが歩いたらどう?」
私以外の二人で、私のこれからについての会議が開かれた。運転手の大人はため息をつき、自分の席を空け、そこに子どもを座らせた。ご乗車ください、と子どもがいたずらっぽく笑って招いた。座ったことのないそこにはたいへん魅力的であったが、チャーチャンと呼ばれる知らない大人と悪知恵の働きそうな子ども。私のこれからは私が決めるのだ。断らない理由が見当たらなかった。
「私、お迎えの必要のない子なので、「はぁ?うっさいな、早く乗れ」
いたずらっぽく言うはずだった言葉は途中で遮られ、夕日の赤がチャーチャンという大人をいたずらに照らし、小学生には恐ろしすぎる形相と化していた。有無を言わさず私を掴みあげ座席に座らせ、自転車を手押しで進める怪力チャーチャン。少々強引ではあったが、はじめての感覚に間違いなく気持ちが高揚していた。風がひんやりしてきた。自然と頬がゆるむ。
「ご乗車いただくのははじめてでしょうか?」
ゆったりなスピードで進む自転車に合わせるように余裕を持って笑うその顔は嫌いではなく、素直に頷くことができた。
「ゆったりなスピードで夕日を堪能いただけますが、こちらの乗り物は速く進むこともできます」
らしい言葉で胸を張って話す子どもは、“ごっこ”遊びに慣れているのであろうか、合図のように「チャーチャン!」と大声で呼びかける。チャーチャンと呼ばれた大人は地面からそのままペダルに足をかけ、勢いよく漕ぎ始めた。
「わー!わー!ここから気流が荒くなるぞ!しっかりつかまるんだぞ!」
デコボコのアスファルト、無邪気にペダルを踏む大人と手を宙に広げ笑う子どもを夕日が照らす。
一番後ろの私には光はこない。
体力の低下とスピードの減速が比例する。
二人は二人、私は私。
二人と一人だった。
外もずいぶん寒くなった。
みるみる体温が下がっていく。
ふわふわ揺れる頭が振り返り、握った手を私の前で開く。
「夕日集め成功したから、おすそ分け。」
屈託のない笑顔がとっても眩しかった。
チャーチャンと呼ばれる大人は、それらしいジュースを片手に夕焼けジュースなんておどけてみせた。