思いやりこそ人間らしさ
Bonjour.
こんにちは。あみーごです。
青年海外協力隊としてセネガルで活動しています。活動の内容は、落ち着いてきた頃に、少しずつ書く予定です。
今回は、先日読んだ新聞記事×セネガルについて思ったことを書きます。以下目次です。
異国で日本の新聞を読むと言うこと
セネガルでも日本の情報収集として新聞を読んでいます。新聞を読むことは、普段自分が注目しない記事にもふと目が行き、こんなこともあるのか、なぜそうなのか、なるほどなぁなどなど視野が広がりますね。さらに、異国で日本のニュース、新聞を読むことは、「セネガルと日本」をフュージョンさせながらを記事を読むことができることが判明しました。しみじみ。笑
新聞記事「車椅子OKのタクシーなのに 乗車拒否」「台風19号の避難所にて ホームレスの方々の受入拒否」を読みました。純粋に「なぜ?」「何で拒否するの?」と驚き以上に、そんな国が母国であることが切なくなりました。また、ホームレスの受入拒否に対して、区の対応は正しかったと言う人が少なくなかったことを知り、さらに悲しくなりました。日本には不思議なことが沢山ありますね。
異国に住むと言うこと
私は今、アフリカのセネガル という国に住み始めもうすぐ4ヶ月が経ちます。文化も価値観も180度どころか、540度くらい異なる国でもあり、異国に住むことは、旅とは違った困りごと(電気代どうするの〜、水道代どうするの〜、Wi-Fi契約どうするの〜、ガスコンロ無いの〜?etc…)もあり、苦労もします。しかし、電気、ガス、水道などのインフラが全然整っていない途上国ではありますが、いざ困った時に、マニュアルに沿わず臨機応変に対応することができる人が多いのは、確実に日本ではなくセネガルの人たちでは?と感じています。
ここ、セネガルでは子供やお年寄り、また困っている人などに対して、当たり前のように助け合う人が圧倒的に多いです。助けを求めている人に対して、拒否することはないです。
私は子供でも何でもないただの外国人です。しかし、こんな異国の冴えない日本人でさえも、これまで数え切れないほど助けてもらいました。だからこそ、今こうして生活できています。
セネガルと日本の違いについて
車椅子の話になりますが、セネガルにおいて、車椅子が存在するのかどうかは、まだ見たことがないので分かりません。しかし、もし車椅子の人がタクシーに乗りたい場合、タクシーのドライバーなり、付近の道端歩いている人なり、誰かしらが何とかして、確実に乗せてくれるはずです。見て見ぬ振りをされることはないです。ちなみに、こっちのタクシーは、もちろん日本みたいに素晴らしいUD(ユニバーサルデザイン)の車なんてありません。ふっつーのボロボロのタクシーですが…とにかく、何とかして乗せてくれはずです。
私の任地ンブールでは、乗合タクシーが主流で、同じ方向に向かう人は、同じタクシーに乗ってみんな仲良く目的地まで行くことが多いのですが、私の行きたい方向のタクシーがなかなか見つからなかった時でさえ、周りにいた人たちがこっちで待っていたら乗れるよ〜と教えてくれました。そう言うちょっとした声掛けって、かなり助かりますよね。そう、ちょっとしたことが、かなり助かるんです。
これは文化なのか?人間性なのか?と色々考えましたが、おそらく文化とかそういう言葉で表現できるものではないと考えます。”人間として”やるべきことをしているのではないでしょうか。
ふと、日本のことを考え、他人に無関心だからか、「え!今そこヘルプするとこでは!?」って時に、華麗にスルー、見て見ぬ振り、多くないですか...!?(もちろんそうでない人がいることも事実。しかし、赤の他人であれば尚更、華麗にスルーする人が多いことは確かです…)
都会であればあるほど、人と人との繋がりが薄いからか、そうなのかもしれません。悲しい現実です。しかし、他人に無関心かと思えば、過度な協調性を求められたり、こうであるべき!みたいな風潮があったり、個性を出しにくい国であることは言うまでもありません。日本には本当に不思議なことが沢山ありますね、2回目。笑 他の国に住むと自然と色々と見えてきますね。
確かに、国によって、価値観も文化も考え方も感じ方も異なってくるのは事実、しかし、価値観でも文化でもなく、”人間として”、”人として”すべきことってたくさんあると思います。
私の考える素敵な国って...?
ある意味で、日本はかなり発展途上な国だなぁと思います。仕事で忙しくて心の余裕がない人が多すぎるのかもしれません。しかし、だからこそ豊かな心の持ち主が増えていくことで、より素晴らしい国なるのになぁと思います。生きているからこそ行うべきこと、それは淡々とマニュアルに沿って作業することなのでしょうか。いえ、それ以上に、いざという時に臨機応変に助け合う精神の方がずっと大事だよな〜と。
困っている人がいれば見知らぬ人同士でも自然と助け合える国って素敵な国だなぁとしみじみと感じました。
セネガルに住み始めてもうすぐ4ヶ月になりますが、時間だけはあります。しかし、この時間があるっていいですよ。人間として何のために生きているのか、そんなことを考える余裕が出てきます。お互いにお互いを思いやり、助け合える国が母国であってほしいですね。
それでは、また。
À bientôt.