隣の芝は青く見えるけど、自分の芝は自分が一番愛してあげたい
隣の芝はよく青く見える。
けど、私の芝は私が一番可愛がってあげたいし、私から見ても最高に青くてイケてる芝であって欲しい。
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私は理系の単科大学に通っており、ただいま絶賛卒業論文のシーズン。
ゼミでは「根拠は?」「本当に内容ちゃんと理解してる?」と鋭い矢が飛んでくることもしばしばだけど、なんとか踏ん張って頑張ってる。
そんな厳しい理系畑でぬくぬく育った自分は、学生の8割が大学院に進学する環境の中にいながらも、あえて「学部卒」という邪道を選んだ。
これはシンプルに、研究活動より、社会に出て仕事をする方が、私のやりたいことに近いと思ったからだ。
就職活動をする中で、他大の人と繋がりを持つことが多くなった。また、学外の課外活動やコミュニティに参加する中で、こんな感情をよく抱くようになった。
私の生きてる世界は、なんて狭くて多様性がなくて面白くないんだろう。
自分が生きる大学の外の環境には、色んな大学生がいた。
学生ながら起業してる大学生や、ベンチャーやスタートアップ企業で長期インターンをしてゴリゴリ働いてる人。
大学生のコミュニティの中でみんなでワイワイ楽しそうに生きてる人、昼はフリーターしながら夜クラブでDJやってる人、舞台俳優を目指して練習に励む人。
正直、すごく羨ましくなった。
周りの芝が青く見えすぎて、すごく辛くなった。
こうやって色んな経験をしてる人がいる中で、私は決まったコミュニティの中でずっと生きてて、毎週ちゃんと勉強しないとすぐ留年しちゃうような環境で生きざるを得なくて、なんて面白くないんだろう。
なんて人としての深みがないんだろう。
周りと比べては自分が悔しくて、無い物ねだりになって、自己嫌悪しまくっていた。
でも、ただ卑下してるだけじゃ何も進展も成長もないのだから、と思い、ちょうどコロナで大学に通わなくて良くなった時期から、ありったけの勇気を振り絞って、学外の活動に積極的に取り組むようにした。
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世界が広がって、色んな人の生き方や生活に触れて気づいたこと、それは、
「他人にはないけど、自分にはあるもの」の存在、価値だ。
今まで私は、「自分にはなくて、他人にはあるもの」ばかりに目を向けて、ないものねだりになって、自信を失っていた。
でも、周りの世界を知って初めて、「他人にはないけど、自分にはあるもの」を知ることができた。
そしてその真の価値を、知ることができた。
だったら、今私にあるものは、私が一番愛してあげたい。大切にしたい。
今私にあるものは、「勉学や研究にどこまでも力を注げて、それに答えてくれるだけの器がある、大学の環境」。
過去の自分が精一杯努力して掴み取ったこの大学、入ってみたら正直、自分が思ってたものと違った。
でも、せっかく頑張って入ったのだから、その価値は私が一番わかっていたいし、学べることは精一杯自分のものにしてやりたい。
だって、当たり前すぎて気づかないけれど、周りの人が行きたくても行けない、素晴らしい環境なのだから。
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そう思って私は、思い切って「学会発表」に挑戦することにした。
学部4年で、しかも院に進学しない人が学会に出ることは、ごく少数だと言われる。
でも、出たいと思ったら出れる環境がまず整っていることが私の大学の素晴らしいところ。うちの大学入って良かったなって、初めて心から思った。
それに、一緒に出る修士の先輩方も本当に優秀で、心から尊敬している。
毎週のゼミの発表を隣で聞いて、あえて口にはしないけど、本当に刺激を受けている。ああなりたい、といつも思う。
こうやって優秀な先輩方と一緒のテーマで研究活動をできたことが、私の誇りだ。
きっと、アカデミックな世界では、私が今まで出会ったことのないような人がたくさんいるだろう。
そんな世界で私なんて存在はもうミジンコほど小さくて、未熟な存在だと思う。
どう見られるのか怖いし、恐れる気持ちもある。
でも、そういう世界から学ぶことがあると、そう信じて、日々準備を進めている。
そして、きっと、その学びを得られて初めて、私は私の芝を真に愛してあげられるんじゃないかと思う。
隣の芝は青く見えるけど、自分の芝は自分が一番愛してあげたい。