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新人研修で一発頭殴られた気分だ

ガチで殴られたわけはないです。
でも、今すごく難しい何かにぶち当たってる気がして、
なんとも言えない、悔しくて、苦しくて、
もどかしいこの感情を忘れたくなかったので、

爆速で家に帰って、急いで文字に起こしています。
夕飯もまだ食べてないけど。

1年後、2年後、はたまたその先の自分がこれを読んで、
少しでも「成長したな」って思ってくれますように。


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私の会社では、今年7月から9月末まで、
新人研修の一環として、システム開発研修がありました。

3ヶ月でシステムを作って、納品して、
今週はその総括をする期間なのですが、


結論、色々失敗しました。
感情がぐちゃぐちゃになりました。


明確な失敗としては、
システム納品テストを通過できなかったこと
「これ作ってね!」と言われた物を、
言われた通り完璧に作れませんでした。


「出来ないヤツ認定された」みたいな気持ちになりました。

中途半端なプライドがあったからかもしれないけど、
めっちゃ悔しいです。正直。
まじで悔しい。



失敗した理由はもう自分でも分かってて、
私が上手にタスク消化できなかったことでした。


もちろん、原因はそれだけではないと頭では分かっていますが、
でも、失敗したという事実を考える度に、

私がもっと技術力高かったら
メンバーを悲しい気持ちにさせなくて済んだのに

あの時ちゃんと相談してれば、無事終わったかもしれないのに


という、自分に対する後悔や、
メンバーへの申し訳ない気持ちが混ざって、
もう頭がバグってしまいそうです。


ああ、辛いなぁ。

私は全然まだまだだし、上には上がいるし、
もっと頑張らなきゃダメなんだなと

頭一発、鈍器で殴られたみたいな気分です。



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感情を垂れ流すのはここまでにしようと思います。


大失敗したからには、学びがもうたくさんあります。


【学び1】
「とりあえずやってみよう」が正しいとは限らない

私は元々、計画をしっかり立てて、
綿密に完璧に進めていくタイプの人間でした。

だけど、経験の質にこだわりすぎるのではなく、
経験の数を増やすことも大事であるということを
大学生の後半で学んでからは、

「とりあえずやってから考える」モチベで
手をつけることが多くなりました。


でも、それは、仕事においては必ずしも正解でないことが
今回はっきりと分かりました。

そう、「何事をやってみることが大事」と言えど、
全く見通しが立たない中で前に進むのは、
あまりにもリスキーすぎる
のです。


頭でっかちになりすぎるのは良くないですが、
「これはいけるな!」という判断ができる段階までは
適切な技術調査やリサーチを行なって、
「この機能は何をどうやって実装するのか」の見通しを
ある程度立てる。

その作業に多少時間がかかったとしても、
のちのち大きな手戻りをするリスクより
よっぽど軽いことが
今回、自分の手によって証明されたわけです。


「先を見通して計画する・評価する」ことと、
「やってみる・手を動かす・検証する」こと、
この丁度良いバランスを
適切に見極められる人間にならきゃいけない

強く思いました。



【学び2】
良くない傾向が見えた時点ですぐ相談する

人から仕事を頼まれた時、
「出来ると思う!」「いけると思う!」と
その依頼を大概引き受けるのが私ですが、

引き受けた後、ちょっと進めてふと、
「あ、これは出来ないかもしれない」と
第六感が働く
時がたまにありました。

引き受けた時は、
まだ適切な調査も何もしてないから、
実現可能性に関してまだ盲目だから、
「これは出来る!」って心から思っているんですよ?

でも、実際に蓋を開けてみると、
「やっぱ無理かもしれない」って
思う時がありました。


こんな感情にふと気づいたら、
その素直な悩みをもっと周りに言ってもよかったんだな

いやむしろ言わなきゃいけなかったんだな、と
後になって気づきました。


なぜなら、それで完遂できなかったら、
いくら気概があっても「失敗」になるから
です。


「出来るよ!」「やりたいです!」
やる気を見せるのは大事ですが、
「気持ちがあること」と「実際に完遂できること」は
全く違います。


「実現できないかもしれない」予感や傾向を感じたら、
すぐ周りの人に相談・共有することが、
結果として、周りにも自分にもいい影響をもたらすし、

それがチームとしての進捗にもなるのだと
気付かされました。


現場に行ったら、
怖気付かず、
恐れず声を上げること
を大事にしたいです。



じゃあ、どうして今回、
「これは出来ないかもしれない」と
声を上げることが出来なかったのか?

さらに深掘りしてみると、

「否定すること」が苦手

という私の性質が
根本的な問題なのでは?と考えました。


人が言ったこと、頼んできたことに対して、
「嫌です」「出来ないかもしれません」と否定したら、
自分の存在が否定されるんじゃないか?
仕事できない人認定されるんじゃないか?

そう思って、私は「NO」と
言うことが出来ません。

ただ、
「何かに対して否定の意思表示をしたら、自分が否定される」
という価値観は、
私の中で明確にトラウマがあってのものなので、
それを今すぐ0にするのは難しいと思います。


これ以上その原因を突き詰めるのは
また今度にするとしても、
こういった自分の自動思考に気づけたのが
第一歩かなと思います。


私が大好きなアドラー心理学で、

人は、現在の不幸を説明するという目的のために、トラウマという原因を作り出している

嫌われる勇気

という言葉があるので、
その考察はまた時間がある時にやってみようと思います。



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現場に行ったら、今までやったことない仕事や業務が
大量に押し寄せてくると思います。

実現可能性の見立てがつかないような仕事が
ばんばん降ってくると思います。

どんなタスクが振られてきても、


「先を見通して計画する・評価する」ことと、
「やってみる・手を動かす・検証する」こと、
この丁度良いバランスを探ってみる


「実現できないかもしれない」予感や傾向を感じたら、
すぐ周りの人に相談・共有する


この2つを徹底して、
また自分のやりたい仕事に向かって
全力で頑張りたいと思いました。



研修中は、
「自分がやらなきゃ迷惑かける」と思って
ものすごいプレッシャーの中で
日々仕事をしていたので、

それから解放されたのが本当に嬉しいと同時に、

それだけ自分を追い込んで、全力で取り組んだからこそ、
こうやって有益な学びを得られたのだと
自分を労ってあげることにします。



私生活も考えなきゃいけないことだらけ、
新しく勉強しなきゃいけないことだらけだけど、

さっきスーパーで買ってきた
スト缶(大)と辛ラーメンを飲み食いして、
幸せな気持ちになれるうちは

私は幸せ者です。


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