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母が"私を産んだ理由"が面白かった


「お母さんは、どうして私を産もうと思ったの?」

母の答えは、私が想像したより生々しいものだった。
でも、うまく言語化できないけど、私にはなんだか無性に刺さる答えだった。





社会人があと2ヶ月に迫る中で、「自分のこれからの人生」に考えを巡らす時間が増えた。


その中でも特に私を悩ませる話が、「子供を産むか・産まないか」論争だ。


それ以前に結婚相手が・・・という現実的な話題は一度置いておいて、こういうことをぼんやりと1人で考えるのが私は大大大好きだ。




「女性の多くは、”いつかは子供が欲しい”と思っている」という世間の風潮・偏見のようなものを私はなんとなく感じる。
まあ、数で言えば周りの友人を見ていてもそうだし。世間の風潮的にも。
『まあ女性であれば誰しも、いつか子供欲しいって思ってるよね」みたいな。


私個人としては、このような風潮がすこぶる苦手だ。
現時点では子供には興味がないし、しばらくは仕事一筋でいたい。(時間が経てばもちろん変わるかもしれないけど)
「"世の女性"として、私みたいなマイノリティをひとくくりにしないでくれ。」と思うことも多い。


でもやっぱり、最近一番思うのは、「仕事だけで生きていくには人生あまりにも長すぎる」ということだ。


「どうせ100年くらい生きなきゃいけないなら、そのうちの10年くらいは"育児"というライフステージに時間を費やしてもいいのかな?」
と、最近少しずつ思う。


子供を産むのか産まないのか、どっちに転ぶかは分からないけど、仮にもし産むのなら私は、

「なんとなく欲しいと思ったから」というような勢いやふわっとした感じではなく、

「こういう理由があって産みたい」と、自分の中できちんと納得感を持った上で、子供を作りたいと考えている。


というか、そういう明確な目的がないと、育児なんてあまりにも重労働すぎて「やりたい!」と思えないのではないか。
・・・という、女性として大切な何かが欠如している私が垣間見える。笑


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そこでふと、母の存在がよぎった。


聞いたところ、母は若い頃バリバリ働いて、稼いだお金で世界中を飛び回ったり、とにかく自由に生きてたらしい。
若くして管理職に昇進しそうなタイミングで子供を授かった、とか言っていたっけ。

きっと、私と似た価値観を持っているに違いない。


私と似た性格の母は、どうして私を産もうと思ったのだろう?



「お母さんは、仕事もバリバリこなしててすごく自立してるタイプだと思うけど、それでもどうして私を産もうと思ったの?」

思い切って聞いてみた。



すると母は、”はぁーそこ聞いてきたか。” みたいな顔して私をチラッと見たあと、「ちょっと引くというか、びっくりするかもしれないけど、いい?」と前置きをつけて、こう打ち明けてくれた。



「私は、子供を”自分の作品”にしようと思って、産んだの。」

「どういう教育方針で・何をして・どんな指導を施したら・どんな物が出来上がるのか、という、私という一人間が作る作品、みたいに思ってあなたを育て始めたよ。

そうやって、自分の中で仮説検証をして色々試行錯誤するのが面白いって思うからさ。

「もちろん、育てる中でその考え方は少しずつ変わっていったけど、少なくとも若い頃の私は、そんな風に子供の存在を捉えていたかなぁ。」




母の、「母親」としての側面ではない、「いち人間」としての側面を垣間見た。

そのギャップに一瞬びっくりしたけど、でも、すごく、面白いと思った。
やけに共感できる内容だった。
人によっては「子供を作品と捉えるなんて」と思う人もいるのかもしれないけど、正直なところ、私はめちゃくちゃ共感してしまった。


なんだろう、こう、

ただ「子供が欲しい」「家庭を持ちたい」「素敵なママになりたい」という、多くの人が抱く夢にただ漠然と憧れて・・・という動機ではなくて、

その「育児」という事象を、”自分の力を試す場所” ”自分という人間が生み出す結果を形に残す場所”という風に捉えているというか。

育児すらも自己実現の場と捉えている、あくまでも自分を主人公として考えているところに、やけに親近感を持ってしまったし、冷酷さの中に”強さ”みたいなものを感じた。


そして母は付け加えて、


「こういう考えはマイノリティで、私はすごく生きづらさを感じてる。
なかなか理解されないし、自立した女性というのは同性の中でも行き場を失いやすい。ママは昔も今もそう思う。

でも、私のそういう生き方、私は大好きで誇りに思ってるから、例え1人でも立派に生きていけるような教育を、あなたにも最大限施したつもりだよ。」

と言ってくれた。



「子供を産んで育てる」と言っても、そこに至るまでには本当に色々な考え方や動機があるんだなぁ、ということを強く感じさせられた。


そう思ったら、「女性として、家庭的で良妻賢母的なママになること=良い」みたいなプロトタイプに無理矢理はまりにいかなくてもいいのかな。

いい意味でもっと自己中に、もっと自由にラフに、育児を捉えてもいいのかなと思った。





母に向かって、

「ママの作品として、私は何点に仕上がった?笑」

と聞いても、そこはあえて答えてくれなかったけど(笑)、

でもきっと、それなりの仕上がりになったと思ってくれたからこそ、こういう繊細な話を打ち明けてくれたのかな。



「母親」って人間として面白いなぁ。






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