ぐらしあすの「グループホームからの卒業」

ぐらしあすの職場には知的障害のある男性(40歳代後半)が働いている。
午前中のみのルーティンワークだが、それはそれは休まず真面目に熱心に仕事をしてくれている。

だが、最近時折「仕事を辞めたいと」言いだした。
仕事に関して何か問題があるのかなと感じていた。

しかし、話を聞いていると毎日生活しているグループホーム内での諸問題(人間関係など)が原因だと考える。
数か月前に、長年住んでいたグループホームから別のグループホームへと移動した。そこから彼の様子が、どこかいつも不安げで落ち着かない感じになってきた。

ぐらしあすは普段仕事の面の話を良くしているが、生活面に関しては、その方の支援者がいるので、口を挟まないようにしていた。

でも、今回彼の支援者に事情を話し一度、ぐらしあすと、その彼と、支援者2名とで話し合いの場を持った。
それも、ぐらしあすから支援者への提案で、支援者はようやく動いた。

話し合いの中で、支援者は、彼に対して「仕事はしかっりとやらないといけない。みんなそうしている。これからも頑張ってください」の一点張りだ。

でも、真の彼のニーズに答えていないのだ。
しかも、彼の要望を丁寧に聴いているのか疑問が生じた。

ぐらしあすと彼との接点は仕事に関してである。
こと生活面において彼の障害の内容、どんなことが出来てどんなことが出来にくいのかは、支援者の方が当然理解しているはず。

ぐらしあすは見かねて、もう生活面においての彼の希望を支援者に口出しをした。

彼の一番の希望は「一人暮らしをすること」。
一人暮らしを実現するには、解決していかなければならいことはたくさんあるだろう。

でも、支援者であるならば、何が何でもグループホーム内での「管理」に固執する必要はあるのか?

彼の希望の実現に向けて、支援者からの支援、ヘルパー、訪問看護、移動支援などなど、いろんな形でサービスを受けるならば(彼の希望が大前提)、一人暮らしが「不可能」とは言い切れないのではないだろうか。

権利の主体は本人である。

グルーホームで暮らすことも、一人暮らしをすることも、決めるのは「本人」

支援者であるならば、どうすれば彼の希望する方向へ進めるのか、そのためのゴールの設定など、「当事者目線」で真摯に向き合い、実現に向けてともに進んでいく姿勢が最も大切なことではないかと、今回改めて感じている。

いいなと思ったら応援しよう!

ぐらしあす
ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。