9月末の秦野たばこ祭、吉田栄作
9月末のことなのにもうずっと前のことみたい。あの時はまだ外ビールが最高に美味しくて半袖でかき氷を食べている子供たちもたくさん見かけたのに。今日なんてパーカー着てフリース着てそれでも寒いとか言ってた。夏が長すぎたのね。だってあの日もお花は秋だった気がするもの。
思いがけず午後の時間が空いたので第76回秦野たばこ祭へ行ってきた。「ならおいでよ」「うん」というノリで。そんなことしている場合ではないというのもわかっていたがとても楽しかった。祭りはいい。なんでだろ。連日書いているが祭りはいい。秦野たばこ祭り「は」というのか、この祭り「も」自然災害と戦争の影響を受けた産業の歴史上にある。秦野煙草は薩摩(鹿児島)、水府(茨城)と共に日本三大銘葉に挙げられ、たばこ耕作は江戸時代まで遡るという。しかし、宝永4年11月23日(1707年12月16日) 午前10時頃、富士山が南東斜面より大噴火。秦野の田畑も厚い火山灰に覆われ壊滅状態に陥った。しかし人は逞しい。そんな土地でも育つもの、むしろ栽培に適しているものとして葉タバコの栽培が始まった。秦野のたばこ耕作は伝統技術に科学技術が導入され全国にむけて耕作指導員を派遣するほど高度だったらしい。1898年(明治31年)元日には日本たばこ産業(旧日本専売公社)秦野工場ができた。現在のイオン秦野店の敷地だ。今回、この隣にある秦野市立本町公民館で秦野のたばこ耕作の歴史に関する「秦野たばこ資料展」がありそこで勉強したのでまるで知っているかのように書いているが私が秦野たばこ祭りのことを知ったのは昨年だ。小田急線秦野駅にはハイキングで二度ほど降りているらしいがあまり覚えていない。本厚木で降りたときと記憶が混ざっている気がする。タイツを買ったのは覚えているがあれはイオンではなかった。イトーヨーカドーの記憶があるが秦野にヨーカドーはないといわれた。と思って今調べたら2017年3月に閉店とのこと。私が行ったのは閉店前なのではないか?あとで聞いてみよう。
さて、秦野のたばこ耕作は、戦後の不況、第一次産業に従事する人口の減少などにより1984年(昭和59年)に幕を閉じた。今回お邪魔した秦野たばこ祭りは秦野の経済発展を支えたたばこ耕作の歴史を伝え、それに従事した先人たちに対する感謝の気持ちを伝える祭りとして受け継がれ、今回で76回目だそうだ。「たばこ」のイメージの変化に伴い祭の名称を変えた方がいいのでは、という話もあったようだがそうはならなかったとのこと。よかったと思う。奇異に思う人もいるというのもおかしな話ではないか?私が学んだイオンの隣の公民館には小さな図書館も入っている。おそらくそこにも資料があるだろう。無料で誰でも利用できる。
それにしても良い祭りだった。たばこ耕作がおこなわれていたときの区画と関係があるのかわからないが、らんたん巡行、弘法の火祭、フィナーレは打ち上げ花火。
イオン秦野、本町小と市役所を主な拠点としてどこへ行っても、歩きながらでも楽しめる工夫がされていたし、それができる街のつくりのように感じた。
そして吉田栄作を生で見ることになるとは!トレンディドラマの時代にテレビがない生活だったせいか当時の芸能界をよく知らないのだが白Tにジーパンのかっこいい人、しかしかっこよさが仇になっているイメージの人、という印象だったがウィキペディアを見る限り当たってなくもないという感じだった。っていうかこのウィキペディア、やや失礼な感じもしなくもない。いやぁ、50代で相変わらず白Tにジーパンで颯爽と登場。地元のお年寄りにも温かいトーク力。「ようやくこれを言えます!一緒に歌いましょー!!」(だったと思う)でみんなで歌う財津和夫。そうか、コロナか(禍)でこれができなかったのか。会場は本町小学校特設会場「はだのふるさとステージ」。吉田栄作は秦野市出身で「はだのふるさと大使」をつとめているとのこと。昨年もステージはあったようだが声をだしてはいけなかったらしい。私は「心の旅」しか知らなかったのだけど歌手デビュー35周年ということでニューシングルも歌ってくれたりバンド形式のライブは楽しいね。私が覚えている限りのセットリスト。
デビュー曲 どうにかなるさ
ONE WAY TRIP
Annie
財津和夫 人生はひとつでも一度じゃない
35周年ということで新曲Old Soldier
心の旅
地元出身の人がデビューしてこんなに経ってもこうして地元を盛り上げ続けているのもとてもいいですよね。LUNA SEAの真矢もふるさと大使ということで弘法の火祭りで和太鼓パフォーマンスしてた。直接はみられなかったけど川沿いに並んでスマホを掲げるみんなの画面から雰囲気は感じとった。盛り上がってたー。
今見たらYouTubeに当日の様子があがってた。来年も行きたいです。良い夏の終わりだった。