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村上鬼城記念館(鬼城草庵)@群馬県高崎市

先日、群馬県高崎市にある俳人村上鬼城の記念館(鬼城草庵)へ行ってきました。高崎駅から30分くらいかな、もっとかな、歩けなくはないけど群馬は車社会なので歩いている人にはほとんど出会いませんでした。逆に私はやたら歩く人なので普通はあるかねーよという距離を歩いていってしまったりするので交通案内はまったく参考にならないですね。記念館の方にも「あるいて!」と驚かれました。まあそれはやっぱり群馬が車社会だから。私、群馬出身だけどいまだに帰ると東京だったら歩く距離を車で行きますからね。私は運転しないからのせてもらうだけだけど。でも小学校の時とか遠足とか今考えてもかなりの距離を歩かされたし山だってあれば登るものなんだなくらいのカジュアルさで登らされていた気がする。中学校は2キロ以上離れた子は自転車通学OKだったけど行きは一回も漕がずにこられるという友達もいました、そういえば。その子だけ雪くっつけてきたり。地形ってすごい。
一応、情報として書いておくと高崎でどこかへいくバスはどの路線も一時間一本あるかないか。「ぐるりん」という市内巡回バスもあるけど駅回りの栄えているあたりをぐるりんする系統なら一時間に数本、鬼城記念館の最寄のバス停「並榎」で降りる「高経大線 系統番号3」だとやっぱり一時間に一本目安。それに追い抜かれるようだったら乗ろうかなくらいな感じでバス停をとおるたびに時間を確認したけど結局歩いたほうが早かったのでした。帰りは少し歩いて大通りにでたら別の路線のバスにちょうどよく乗れました。でもそのバス、時刻表の時間より早くにきてそのまま出発しててびっくり。少し時間あるからちょっとお散歩しよーとかふらふらしないでよかったです。もしいつもだいたいこんなものみたいな感じで動いてるとしたら私はむしろそっちにあわせていきたい。ちょっとの遅れをなぜか車掌さんが詫びているのをきいたりすると「あなたが遅れの原因をつくったわけじゃないでしょう」とぴきっときたりするけどそれはそれでなにも悪くない車掌さんにとっては理不尽ですからもちろん心にとどめておきます。いやになりますわね、こういうの。
高崎駅の改札前にある観光案内所で高崎市のマップと「鬼城句碑めぐり」のマップももらいました。これはちょっと探すのに時間がかかっていたからあまり行く人がいないのかも。http://takasaki-kankoukyoukai.or.jp/wp-content/uploads/2015/09/20150914123445.pdf 
歩いて最寄りのバス停までいったはいいが「鬼城句碑めぐり」にある地図だと大雑把すぎてわからず少しだけ行き過ぎてしまいました。バス停からすぐの小道をはいればよかっただけで実際地図をみてもそうなんだけど初めて行く場所ってなんかちょっと大きい道をいきがちではありません?「この細い道かなあ」といいながら通り過ぎた道は帰り道に通りました。行きは「護念寺」と書かれた看板のある登り坂までいってこれは違うかもとバス停まで戻り記念館にお電話をしてそばにみえた建築事務所みたいなところの名前をいってもそれは通じず「護念寺」で通じてそのそばのモルモン教会のところまできてくださるとのこと。ありがたや。モルモン教会とはどこぞ?きっとさっきの坂道のほうに違いないと歩いていたら手をふってくださる方が!坂を上りたくないという無意識がこっちの道へ進ませなかったのかもしれません。といってもこの道はこの道で地元の人の抜け道という感じでしたので自分たちではどうにもならなかったでしょう。ご案内していただきながらタンポポがたくさん咲く細い砂利道を進み右手にゆっさゆさと八重桜が散っているおうちへ。記念館の門のほうから入るようにいわれてはいるとお隣にご自宅のあるその方とすぐに合流して玄関までの道でもお花の名前を教えていただきました。紫のお花「テッセン」。つるが鉄の線のようだからと。鉄線葛とか鉄線蓮とも呼ぶのですね。さらにこれの上位分類はクレマチスではありませんか。クレマチスの丘に行く予定から変更してこちらにきたのですがどっちにしても会えました、クレマチス。お庭は今はご一家の家もあるし周りの家も建ったから狭くなってしまったと少し申し訳なさそうにおっしゃっていましたが大きなカリンの木、八重桜のほかにもセイヨウヒイラギ、もみじがまだまだ元気そうで地面に敷き詰められた八重桜も美しく、鬼城の頃は家の前も何もなかったから遠くまでずーっと景色が広がっていたと教えていただきながら当時の写真などもみせていただいたことでご一家が大切に過ごされてきた日々に思いを寄せることができました。お話をたどるにどうやらその方は鬼城のお孫さんのお連れ合い様。鬼城のお孫さん、村上幹也さんも俳人で俳号は谿聲。昨年亡くなられたとお聞きしました。鬼城草庵でも購入できる『俳諧生涯 : 鬼城俳句の周辺』を書かれた幹也さんを「夫」とおっしゃっていらしたと思うので多分あっているのですが、帰宅してから少し調べたら東北大鬼城句会のサイトに享年82歳と書いてありました。それを知ったときはなにも思わなかったのですが今日、別の方に話しながら「82歳?お連れ合い様とてもお若く見えた」ということに気付きました。だからどうということはないのですが・・・。その方も俳人なのかもしれないと思ったのも今日になってからです。本当に贅沢な時間を過ごすことができました。感謝いたします。
身体の弱い鬼城が子規に教えを請う手紙がコピーしてあったのも興味深かったのですが鬼城の手紙の下書きがみられたのは貴重でした。子規からのお返事で鬼城の呼称が変わったり、誰か暇な人が歳時記(だったと思う)に掲載された俳句が多い順に順位をつけたら東の横綱が鬼城だったというエピソードも。そして鬼城は指導をうけながらたくさんの俳画も書いてたのですね。俳句をそのまま絵にするのではなく季節は同じとわかる俳画、とても素敵でした。四季のポストカード4枚セットが3種類あったので2種類いただき、今日早速お世話になった方に一枚使わせていただきました。こちらを。


記念館の管理は昨年から高崎市に委託されたそうなのですがまだ県道には案内がでていないということでした。高崎市の担当のかた、早くだしてください。こんなところに俳人の家が?と興味をもってくださる方がいてこの地域のことを、そして日本の文化が育まれていたことを知ることができるのって楽しくありませんか。ご家族が大切に守ってこられた資料だけではない温もりある日々と多くの人が出会えますように。行政のみなさんのご協力があったらなお心強いですもの。
一応、鬼城記念館のサイトのGoogleマップを見れば迷わなかったかもなので貼っておきます。https://city.takasaki.gunma.jp/docs/2022041300121/  

ちなみに角川の『俳句歳時記 第四版 春』に掲載されている鬼城の句はこちらです。ご参考までに。

世を恋うて人を怖るゝ余寒かな
野を焼くやぽつん〳と雨到る
生きかはり死にかはりして打つ田かな
闘鶏の眼つぶれて飼はれけり
川底に蝌蚪の大国ありにけり
雉子おりて長き尾をひく岩の上
初花の薄べにさして咲きにけり
岩の上に咲いてこぼれぬ山帰来
葦の芽や浪明かりする船障子 村上鬼城