替えのまくらは切り裂かれた
ある夜。家に無法者が押し入ってきて、俺はたちまち拘束された。
紐によって手足を結わえられた俺の目の前に包丁を突きつけて男は言う。
「まくらを寄越せ」
あまりにもシチュエーションに似つかわしくない要求に俺は素っ頓狂な声を漏らしかけた。
しかし、この身に命の危機をもたらしているこの男の前において、迂闊な振る舞いはしないよう沈黙に徹する。
「話を聞いているのか」
俺は男の詰問を「ああ」とか「うう」とか、答えにもならない呻きを以て躱す。
そうしている最中に、あたかも針の筵の様なこの危険な夜を切り抜ける為、思考回路をフル回転させる。
そもそも、うちは昔から布団やシーツ、マットレスを扱っている老舗の布団専門店。
この建物は一階に店、二階は家という風に分かれていて、売り物もみんな一階にある。
まくらなんてものは、それこそ店に山のようにある。
しかし、今まさに家主兼店主たる俺とこの不埒な闖入者の相対しているこの部屋は二階。
不可解な。
無法者の心理なんてものは理解したくは無いものの、
あまりにも理屈に合わない男の行為に対して気になった俺は質問を返した。
「一階の棚に積まれたまくらを見ていないのか?」
さらに「そんなに必要なら売り物を好きに持っていけよ」と吐き捨てるように付け加えた。
これにはこんな目に合わされている事への文句やささやかな反抗の意思表明を含めている。
この俺のこの一言は何か核心を突いたらしく、
困った男は観念したかのように弱気になって包丁を床に置いて手をこまねいた。
いつしか部屋の剣呑な雰囲気は薄れていた。
「……何もかも話す」
いかにも無念といった面持ちの男は話の口を切って、訥々と語った。
聞くところによるとこの男は人の使い古しのまくらにとにかく強い執着を持っていて、
夜な夜な町の家々を襲っては、老若男女のお構いなしに他人を脅迫してまくらを強請っていたらしい。
いくつかの犯行を重ね、ついには警察の厄介になった男は措置入院の過程において
精神鑑定を受ける機会こそあったものの、そのあまりに特殊な嗜好は医師からも見放されてしまい、
これはもはや生まれ持った性癖としていよいよ中古のまくらを盗むに尽きるしかないのかと、男は将来を悲観した。
釈放された男は陰惨な余生せめてその憂さを晴らそうと、
こうして町にある最もまくらに満ちた理想世界――すなわち俺の店を襲うことを決めた。
そう男は今に至る経緯を説明した。
何とも傍迷惑な話と当初は受け入れられなかったものの、
赤裸々な身の上を聞くうちに、俺は目の前の男をすっかり哀れに思っていた。
拘束を解かせて俺はこう持ちかけた。
「それならショック療法するといい」
男は奇妙な面持ちをするものの、俺は気にしない。話を先へ進める。
「最愛の物を徹底的に痛めつけて損壊させ、その様子を見て偏愛の心をも粉砕してしまおう」
男は目を見開き顔色を変えた。
見る間に俺は床から取った包丁を部屋にあったまくらに突き立てる。
「やめろ!」
男は悲鳴を発して苦悶する。
そんなのはお構いなしに、俺はまくらに包丁を抜き差しすることを止めない。
こんなものは所詮、代わりの利くもの。替えはそれこそ人に売れるくらいある。
それよりも目の前の可哀想な厭世家一人を救うことこそ価値ある選択と俺は確信している。
床一面、四散した綿や布切れによって埋め尽くされていく。
「やめてくれ!」
俺は包丁を持つ手を止めることはしなかった。
そのうち男は白目を剥いて泡を吹き、倒れた。
男の体躯は床を覆う白い海に飲まれた。
いつしか夜は明けていた。俺は警察に通報し男は逮捕された。
こうして替えのまくらは切り裂かれた。
完
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?