どうしても遅刻してしまう
私は遅刻をしやすい。
しかも、その理由をうまく説明できない。
忘れていたわけではない。
寝坊したわけでも、
身支度に手間取ったわけでもない。
なら何をしていたのかといえば、
行こうとしていた。
目に見える準備はしていなくても、行こう行こうと、心を、意識を、そちらに向けていた。行けるくらいまで向くように。
心の準備に時間がかかるということかもしれない。
そして、家を出ることから、心の準備が必要だということかも。
だから、予約の類は苦手だ。
守れるか分からない約束をしたくない。
あらかじめ決まっていても、心の準備が間に合うとは限らない。
縛られて行けにくくなることもある。
いままで何度か、家を出るのに3日かかることもあった。
今日行こうかなと考えて、行かずに日が暮れて、
今日は行こうかなと思って、やはり行かずに2日目も暮れて、
3日目にようやく家を出る。
けれど、心の準備は必ず時間がかかるものではなくて、ふっと、行ける向きになることもある。そうしたらそれを逃さず、すっと家を出てしまう。
予約したことや、いろいろな要素が、行けるかどうかに影響を与える。
楽しみにしていた用事には、遅れないことが多い。
なら遅刻するのはやる気がないからかと思われるかもしれないが、それも少し違う。
気が重くても、必要があるから行く、という用事も世の中にたくさんあろう。
必要があって、意志があって、今日行かなければと思っているのに行けないこともある。
行けなくて涙が出たこともある。
全力でやっているのに、やる気がないのだと判断されると、
強いもどかしさをおぼえる。
どうにかならないものかと、泣きたいような怒りに似たような気持ちになる。
でも、これはきっと、変わらないだろう。
社会の構造の、ほんの一端。
社会も自分も変わらないから、その相性の悪さも、軋轢も、そのままだ。
大切な相手を待たせるのも、もちろん嫌なことだ。
自分を待ってくれているのに、約束の時刻に約束の場所にたどり着かないなんて、胸が潰れる。
あまつさえ、私は遅刻の連絡を入れるのも苦手だ。
それがすきなひとはいないかもしれないけれど、
私は苦手だ。
ただ遅れる時間と理由を口にすればよいというものではないから。
そもそも、私は遅刻だけはするなと、幼稚園にも、小学校にも、家を叩き出されるように登校していた。
私の遅刻性は変わらない。
アラームを鳴らしたり、約束の30分前に着くように逆算したりと頭を捻って、
それが功を奏したこともある。
糠に釘だったこともある。
莫大な数の人々が時計に合わせて動いている以上、
私は遅刻しないようにするしかないし、遅刻したら謝って埋め合わせるしかないのだと思うけれど、
どうしても遅刻してしまうひとがいることを、
知ってほしい。
身近に、忘れ物をしやすいひとはいるだろうか。
「うっかり」は大抵のひとに付いてまわるから、自身はしなくとも、したひとのことがなんとなく分かるかたもいるのではないだろうか。
どうしても忘れ物してしまうひとに、この社会は少しだけ寛容だ。
時間の貸し借りなどはできないから、簡単なことではないだろうけれど、
遅刻にも、忘れ物と同じくらいの寛容が向けられればいい。