国会図書館に納本するなら、カバーと帯は外しましょう、って話。

 はい。こんにちは、飴屋です。

 ぶっちゃけますと今回は、
「国会図書館に納本しようとしているかた、作品のカバーや帯を捨てられたくなければ、それらは外して送ってください」ってことが言いたいだけです。

 国会図書館の蔵書って、カバーがないんですよね。この、外されたカバーがどうなるか。捨てられているのだそうです。
 わたしは今回、制作したカバーつき文庫本を納本したあと、なんとなく調べものしていた過程でふと目にして「えっ」と思って、電話で問い合わせてようやくこれが事実なのだと知りました。

 国立国会図書館は、本のカバーを捨てている。

 嘘でしょう、と思いました。
 本の保存を担うひとたちがすることか、と思いました。
 納本は出版をした者の義務であるとはいえ、決して安くない送料を払い、その冊数で得られたはずだった売上を諦め、手間と時間を費やしてまで納本することを選んだひとに対しての仕打ちがこれか、と思いました。

 せめてカバーを返してほしい、ってお問い合わせの電話をしましたが、返却はできない、という返答でした。
 このたった1本の電話に3人ものひとたちが対応してくれたんですが、職員さんたちのあいだでも温度差を感じました。
 最初のおひとりはもう完全に受付のひとだったので除くとしても、2番目のひとはカバー捨てることに疑問とか感じてないんだろうなって思うような、淡々とした話し方をしているように聞こえました。最後に代わってくれたかたは、少し心苦しそうな話し方だったように感じたけれど。
 どのみち答えは変わりません。国会図書館で保存される「本」に、カバーや帯は含まれない。

 納本するまでの、わたしのリサーチが甘かったのだと思います。本のカバーが保存されないことについて、問題提起なさっているひとも見かけました。そもそも国会図書館の資料を利用したことがあったなら、その時点で察することもできたのでしょう。
 ただ、国会図書館の設けているホームページをわたしが見たかぎりだと、書籍のカバーが保存対象でないと理解できるような記述は見当たりませんでした。

 図書館が、本の一部を捨てる、なんて、わたしは思いもしていませんでした。

 めちゃくちゃ悔しいです。知らなかった自分が悔しい。
 二度は繰り返さないと誓って、そして、ほかの誰かが同じことで泣くことがないようにと願って、このnoteを書きました。

 国会図書館に、作品を納本しようとしているかた。どうか、作品のカバーは外して送ってください。帯も同様です。本体と一緒に送ったところで、それらは捨てられてしまうだけです。
 捨てられてもかまわないのなら、そのまま送ってもよいと思います。ただ、必死でつくったものが捨てられるの、わたしは、お問い合わせの電話を切ってからぼろぼろ泣いてしまうほど悔しかったし、悲しかったです。

 ただの個人が制作した本であっても、納本されたものを等しく未来に残そうとしてくれる、そのこと自体は嬉しいし、ほんとうにありがたいことだと思います。だから、納本したことは後悔していません。
 だけど、わたしにとってこの本は、カバーまで含めてひとつの作品です。できることなら完全な状態で保存してほしかったし、それが無理でもせめて、カバーを、作品の一部を捨てることはしないでほしかった。
 突き詰めれば、これはわたしが事前に気づかなかったせいです。だけど、同じように気づかないひとが、いるかもしれないから。

 国会図書館に納本する作品の、カバーと帯は外しましょう。

 わたしと同じことで泣くひとが、ひとりでも、減りますように。

2020/07/07
飴屋( @ameya_ayameya )

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