『さよなら絵梨』読後感想文。2022年5月9日の日記
『ルックバック』を発表した藤本タツキ先生の短編『さよなら絵梨』が公開されている。
※『さよなら絵梨』の内容に触れますので、未見の方はご注意ください。
⇩
⇩
感想を開始します。
前作『ルックバック』が創作活動と人生の理不尽を描いているとするなら、今作『さよなら絵梨』は、創作した作品を発表する際の覚悟と崩壊した家族関係を描いた漫画なのだと思った。
主人公の優太が病気になった母親から、私が亡くなるまで動画を撮影して欲しいと頼まれるシーンからこの漫画がスタートする。
優太が母親の動画を撮影していて、母親が病院で亡くなる寸前になると、優太はその現実に耐えられなくなって病院を飛び出してしまう。
優太が病院から走り出していくと、病院が大爆発を起こして唐突にそのドキュメンタリーが終わりを迎えるが、そこの会場が優太の通う学校の体育館で、文化祭らしいことが分かる。
母親の死を看取るドキュメンタリーから最後、病院が大爆発して終わったことに、それを見た学校の生徒の評価は散々なもので、先生からも「母親の死を冒涜してるし・・・」と正論過ぎる感想と共に、最後に病院を爆発させた理由について質問したら、優太が「最高だったでしょ?」という返答に先生からブチ切れられる状態に。
クラスメイトや先生からの辛辣な感想を受けた優太は、母親が亡くなった病院の屋上から飛び降りるため、その一部始終を動画に収めるべく屋上に向かう。
そこで、タイトルにもなっている『絵梨』と出会うのである。
絵梨は優太の作成したドキュメンタリーを見て泣いたと伝えて、来年の文化祭でもう一度映画を作成するように提案する。
こうして優太は自殺を止めて絵梨と共に映画作成をすべく、方法論を勉強していくことになる。
最初、絵梨の存在は優太にしか見えないイマジナリーフレンドなのだろうと思っていた。
しかし、クラスメイトも優太の父親も認識してるので、最初読んだ時は戸惑ってしまった。
何故なら、あまりにも絵梨の存在が抽象的で、優太にとって必要なのは、才能を認めてくれる他者の存在だと思っていたからだ。
「漫画なんだから、そりゃあそうだろう」という声はひとまず置いておきます。
その後、父親が優太に母親が亡くなる寸前の映像を見せる場面で、この漫画の方向性が定まったような気がした。
母親の最後の言葉は「ホント最後まで使えない子......」
傍から見れば母親の死を看取るため、献身的に動画を撮影する息子という、他人が口を挟みこむ余地が無い、美談である。
しかし、その美談も一枚皮を剝がしてみれば、優太に暴力を振るい、撮影について暴言を浴びせる母親のエゴイズムと凶器性が存在していただけだった。
自分の死を一つの作品として残そうとする人間が持つ業の深さは、動画サイトで迷惑行為や犯罪行為をしてまでも、再生回数を増やそうとするような、承認欲求が壊れてしまった人間たちと重なった。
しかし、これを他人事として処理してお終いとはならない、何故なら、この感情は私にも潜んでいるからだ。
そして、このシーンを読んだ時に、冒頭の優太が何故病院を爆破したのか理解できたような気がした。
母親が亡くなる事の悲しさや喪失感もあるが、少なくとも、このドキュメンタリーを撮影させていた母親の事は嫌いだったはずだ。
だから、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざった心理状態の中で、優太は病院を爆発させる描写を入れた。
意図や心の底で思っている事をどんなに巧妙に隠そうとしても、それは必ず溢れ出してくる。
その溢れ出てくるものを言い換えると『演出』という言葉になるのだろう。
絵梨と映画撮影の勉強をしていた優太は、病気で入院した梨絵を母親と同様にドキュメンタリーとして撮影することになる。
そして、病気で亡くなった絵梨を看取ったドキュメンタリーを文化祭で放映して、見る者に涙を流させて、昨年のリベンジを果たした。
ここで、唐突に時間が進む。
優太は結婚していて子供も授かっていたのだが、優太が運転してた車が事故に巻き込まれ、家族全員を失ってしまう。
人生に絶望した優太が足を運んだのは、絵梨と出会った廃ビルだった。
そこの廃ビルの一室には、高校の時と同じ姿の絵梨がいて、言葉を交わして優太は廃ビルを後にする。
それと同時に、ビルが大爆発を起こして唐突にこの漫画が終わる。
冒頭の母親が入院していた病院の爆発の演出は、ドキュメンタリーを撮影させようとする母親からの抑圧や暴力から逃避したい感情から出たものであり、最後の廃ビルの爆発の演出は、優太が過去の出来事と決別して前に進むための爆発である。
最初の病院の爆発は、映像表現として爆破させていて、最後の廃ビルの爆発は、優太の妄想内での爆発である。
このように最初と最後の爆発描写が対比にもなっていて、優太の心理描写によって、まったく違う表現にする手腕は見事だと思いました。
藤本タツキ先生の作品を見られることは、今現在を生きている人が体感できる贅沢だと思いますので、興味ございましたら、ぜひ『さよなら絵梨』をご覧ください。