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2023年7月4日の日記。インディー・ジョーンズと運命のダイヤルを見た感想

子供の頃テレビで見てた、あのインディー・ジョーンズが帰ってきた。

子供の頃、週末となるとロードショー番組を見る事が楽しみだった。

昔のラインナップは、急にホラー映画を放送したりするので、どんな映画が放送されるのかも含めてドキドキしていた。

その中で、インディー・ジョーンズシリーズが放送されていると、得した気分になって、眠たい目を擦りながら見ていた記憶がある。

そんな主演を演じたハリソンフォードが81歳を迎え、最後のインディー・ジョーンズと聞かされたら見に行かざるを得ない。

見ようと思ったらすぐ行動あるのみ、家族とのメールをここに掲載する。

濃い青の吹き出しが私である。



映画を見に行く、速度感とライブ感を共有していただきたかった。


80年代アクション映画の荒い部分も含めて表現した部分に、製作者の愛を感じた。


若い時のインディー・ジョーンズの活躍からスタートしてから、ジェットコースターのごとく、アクションシーンが連続で続く構成。

ナチスドイツが戦利品で奪った骨董品から、運命のダイヤルを奪い返すインディー・ジョーンズ。


パレードを馬で駆け抜たり、小型の三輪タクシーでカーアクションしたりと、

これこそ、子供の頃に見ていたインディー・ジョーンズそのもので感涙しました。

80年代アクションの荒い部分と書いたのは、良い意味での脇の甘さと言うか、「そうはならないだろうに。」という物語の展開だったり、登場人物の行動原理だったりするのですが、この映画に関して言うとそれは無粋と言うもの。

映画に隙があろうとも、インディー・ジョーンズのメインテーマと、帽子と鞭がスクリーンに登場したら、テンションが上がりまくりました。

この映画を一言でいうならば「そんな細かいこたぁいいんだよ!!」なのですから。


そもそも、運命のダイヤルが二つ揃うと時空を越えられる設定がある時点で、何でもアリなのですから。

何でもアリとは書きつつも、映画としては破綻していないバランスなので、見ていて映画に集中出来ました。

ナチスドイツの敵役が少し印象が薄い部分もありましたが、そこは名優マッツ・ミケルセンの存在感でカバーしていました。

ただ、冒頭の列車の上での格闘シーンを見た限り、無事で済まない速度で木にぶつかって退場したので、てっきり亡くなったのかと思っていたのですが、無傷で登場した時は少し違和感がありました。その時のカメラワークが下から上に向かって顔を映すしていたので、何かしら顔に傷があったり、眼帯を装着していたりするのではと、期待したのですが、顔が無傷のままで普通に登場したので、拍子抜けしました。

映画の筋とは関係ないのでどうでも話ではあるのですが。


ヒロインのヘレナに感じた違和感と向き合う。


ヘレナは、活動的で、お金のためになら親友を裏切るのも躊躇しない、自分の考えた事に対して忠実に行動しているが根は良い奴。と言った感じなのですが、端的に言えば、憎めないクソ野郎。と言ったところでしょうか。

このヘレナが登場した時に、一瞬、「いけ好かない奴が登場したな。」と思ったのですが、「ちょっと待てよ。」と思い直しました。

ヘレナ的なキャラクターが、男性だったら、違和感無く見ていたでしょう。

これはその違和感に、違和感を感じなくてはイケナイ案件だなと感じました。

アウトローなキャラクターが女性が演じた途端に、酷い奴だな。と思う事自体、無意識的な差別意識があったなと、自覚しました。


これから、ヘレナのようなキャラクターが登場していくべきだなと、これにより、凝り固まった規範を揺さ振って欲しいなと思った次第です。


インディー・ジョーンズシリーズの最後に相応しい作品だった。


ここからは、ネタバレしますが、ナチスドイツの残党が、運命のダイヤルを奪還して、ナチスドイツが戦争で勝利するために、ダイヤルを戻して時空の歪に爆撃機で入っていくものの、行きついたのは古代ローマの戦争風景。

そこには、ダイヤルを製作者したアリストテレスが存在していた展開は、滅茶苦茶に良くて、痺れました。

古代ローマの武器で爆撃機を墜落させようとするシーンは、絶対に見る事の出来ない光景なわけで、それを見られただけで、映画という存在価値がこういう所にあると確信しました。


時空の歪にインディージョンズの仲間が運転していたセスナも入っていたことで、元の世界に戻れる体制は整っているものの、インディー・ジョーンズが古代ローマに残ると決意するシーンはグットきました。

奥さんとも分かれ、息子も戦争で亡くし、自分の戻る居場所は元の世界には無い。

その絶望感から、インディー・ジョーンズが頑として古代ローマに残ると言い始めるシーンは、年齢を重ねたハリソン・フォードと重なってより切実さが増した名シーンなのですが、最後はヘレナがインディー・ジョーンズを殴ってセスナに乗せて元の世界に戻っていました。

ヘレナ、グットジョブ。


そんなこんなで、元の世界に戻り、自分のアパートで目が覚めるインディー・ジョーンズ。

そこで彼が目にしたのは、ヘレナと冒険仲間、そして、別れたはずの奥さんだったいうね。

奥さんとキスをして、外に干されているトレンドマークでもある帽子を手を伸ばして、取るところで映画がスタッフロールになりました。


過去では無くて、未来を目を向けようぜというメッセージを勝手に受け取って、涙ぐみましたよ。本当に。


スタッフロールで、あのメインテーマが聞けて感無量でした。

ただ、ひとつ気になった事があって。

この映画、途中でヘレナと少年が加わるのですが、この少年がナチスの残党に捕まり、相手と自分に手錠を掛けられて連行されていった際に、つり橋から足を滑らして少年共々落下するシーンの後、水中で金網に子供が出られるくらいの穴が空いていて、少年が手錠のカギを取って自分の手錠を外し、その外した手錠を金網にセットして、脱出するシーンがあるのですが、そのシーンを見て、がっかりしました。

そのシーンは、子供が直接的に殺人をさせているシーンだからです。
その後、登場しなかったので多分そのまま溺死したと考えます。

相手は無関係な人を殺すような人間であり、ナチスドイツの残党なので、そういう目に合っても仕方ない悪党として描かれてはいます。

だったら、そのまま激流に流されるか、水面から顔を出しながら「あのガキ、覚えていろ。」のセリフの後に、木材が激突してフェードアウトのようなシーンを入れるべきだなと思う訳です。

こういう話をすると「映画だろ?本気になるなよ。」と言ってくる人間もいますが、それは違う。
映画だからこそ、そこは厳守しなければならないと思うのです。

これは品性の話になるので、話が平行線なりやすいのも理解しているのですが、この部分は見ていて凄く気になる部分でした。
それと同時に現代のリテラシーを持ちながら、80年代アクション映画のテイストを表現する難しさも感じました。


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