まだ続く過去の話の続き
休職したとこまでは話した。
休職の診断書は適応障害。
私の住んでいた所はJRと私鉄の駅があった。職場に行くにはJRからさらにバスに乗り継ぐ必要があった。休職してすぐ私はJRを越えた店に行かなくなる。いや行けなくなるというか。JRにもあまり乗れなくなった。
行動制限なんて海外旅行はダメ位でほかはなかったから割とどこへでも行けるんだけれど、友達と遊ぶため快速で40分ほどの所へ出かけていくとする。行く時はおとなしく電車に揺られて出かけていく。のだが、帰りが大変で3時間くらいかかるのだ。
というのも突然吐き気に襲われる、とにかく手に持っているショップの袋(当時はまだエコバッグではなかった)の中身をどこかへ移して、最悪の場合そこに吐けるように準備をする。いつ吐き気が来るかわからないから、帰りは快速には乗れない。何度も途中下車して休み休みでないと帰れない。おかげで普段降りない駅のトイレの場所にやたら詳しくなった。幸いにもその吐き気に備えた袋を使うことは無かった。
夕方に友人と別れ帰宅する頃には23時頃なんてことも。帰宅したらぐったり。2日続けて出かけるなんてできない、出かけたら翌日は引きこもって寝るしか出来ない。かと言って夜は眠れない、薬を飲むと一日だるい。
とはいえ人と会って遊んでいる時は人としていられるので地方の友人のうちに泊まりに行くとかはできた。ただ本当に食べたりすることがとても難しかった。突然限界が来るのだ。吐かないように迷惑をかけちゃいけないと思って食べないようにする、お腹はすく、でもいつどこで限界がくるか読めない。以前食べられた量でもその日は無理だったりする。
2ヶ月がすぎた頃に人事部長から産業医と面談に来いと言われる。そう、何人か鬱に追い込んだメンタルヘルス担当の人事部長の登場だ。本当になぜこの人がメンタルヘルス担当なんだもっと他にいただろ、と言いたくなるような人だった。
ちょっとまた話は過去に遡るんだけど、あまりに仕事が辞めたすぎて、私は京都で有名な縁切り神社の安井金比羅宮さんにも通っていた。一人で行き形代を納め、あの像をくぐった。
その時引いた御籤は「今は無理、今年は無理、来年以降何とかなるかもやけどな(要約)」だった。
よくあの神社に行けるね、と言われたけれど私にとっては救いだった。
友人のアドバイスに従いできる限りマイルドに、できる限り前向きなことを書いて形代を納めたのだ。あまり直接的に書くと手段は選ばないからねと言われたからだ。
話は戻る。噂の人事部長様だ。
まあ話をするわけだけど、頑張ってってめっちゃ言う。あと、本当は私8月に復職するって人事部長の中で勝手に決まってたらしくて、なんで復職できないの!? もう異動とか派遣とか手配しちゃったじゃんとかって怒られた。知らんがな。こっちにしてみたら何勝手に決めとんねん、である。
あまりの人事部長からのプレッシャーに私は無理をして9月に復職することになる。メンタルズタズタの人間に、バス電車バスなんて言う通勤ルートの店をあてがった人事部長。ほんとにメンタルヘルス担当他におるやろ。
曲者しかいない店舗だった。出勤形態は週三日勤務から週4日勤務のフルタイム。残業はするなという条件だったらしい(私は聞いていない)。
金融機関は一日のお金が合わなければ終わらない。合うまでは帰れないというのが常識だと私は思っているんだ。つまり金が合わなければ帰れない。少なくとも正社員だったので定時が来たから帰れるなんてことは無いと思っていた。ちなみにその店舗の所属長には残業をさせるなと言っていたとあとから聞いた。知らんがな。
残業代は払ってもらってない。
まあいいや。
ただ復帰初日人事部長はあろうことか「(私には)何させてもいいから大丈夫」なんて無責任な発言をして帰っていく。
素直すぎる所属長は「なんでも」に「残業」も入ると思ったんだろう。アホしかいない。救いようが無さすぎる。だから私は残業代貰ってないけど残業はさせられていた。
さてあともう1人のとんでもない曲者先輩。何人もその人と合わなくて辞めている。自分は仕事が出来ると思いこんでいる目出度い人です。羨ましいわぁ、その前向きさ見習いたいですわぁ(京女のイメージ)。見習ってたまるか。
当時の時点で勤続15年ですが半年仕事やってません、仕事が合わなくて、仕事場の人間がダメで私は適応障害になったのです。
その人間に対して「どうしてそんなに仕事が遅いの? どうして出来ないの? 子どもさんがいてお迎えもある人がいるんだからあなたがちゃんとしてくれないと困るんだけど」それ人事部長に言ってくれんか? そんなとこになんで病み上がりのメンタル絹豆腐の人間を配置しようとしたんだ? 理解に苦しむ。おかしいじゃないか。
報連相って知ってるう?
まあ報告連絡相談したら今じゃなきゃダメなの? ってキレられた挙句後になって相談したらなんでもっと早く相談しないの(言いましたやん、今じゃなきゃダメなの? ってキレたんあんたですやん)って平気で言ってくる先輩様が沢山おられる職場だったので、口では報連相言いながら何一つ活かせてなかったですけどね!
まあそんなこと言われたらこっちとしても既におぼろ豆腐くらいよわよわなメンタルです。
例えるなら骨折してかろうじて回復の兆しが見えてきてひっついてる骨です、そこに思いっきり蹴り入れてきてるんです。
とろいだのなんだの散々言われた翌日仕事に行こうとして電車の改札口で動けなくなりました。涙が止まらなくなりました。ああもう無理だ、Twitterに呟いた。フォロワーからDMが来た、無理しなくていい休んでいいもういいから、その言葉で私は電話をして休んだ。ものすごく嫌そうな対応をされた。
こいつらみんな敵じゃん。そう思った。職場に味方なんているはずがなかった。友達でもなんでもない仕事するために寄せ集められてるだけの関係、味方してくれるはずなんてない。
その翌日無理やり出勤したけどもう限界だった。
帰り道電車のホームのベンチが線路と平行だったら多分私は今生きてなかったと思う。線路に直角に配置されてるベンチがかろうじて私が飛び込もうとする衝動を抑えていた。あれ、酔っぱらいの転落防止対策らしいんだけど。
過ぎていく快速電車に飛び込めば楽になれる。
どこからどう見ても精神状態はギリギリを通り越していたし、頑張るために何とか入れた東京行きの予定のために働こうと思ったけど、もうそれどころではなかった(東京にはいった)。
結局私はまた適応障害の診断書を持ってその店に行くことになる。その時の上司(所属長ではない)の言葉が恐ろしく配慮にかけるものだった。
「元気そうなのになんでこんなに休まなきゃならないの? 歓送迎会も中止しなきゃだし派遣さんも休みだし(迷惑考えろよというニュアンス)」
私はただ、「診断書の通りですさよなら」と店舗を後にするしか無かった。
ちなみにその日休んでいた派遣さんもそのままフェイドアウトする。私が診断書出せば休めるって言ってたとかって私に責任をなすり付けて。それに対しては同期はものすごく怒ってた。私はそれを随分あと(多分辞めると決めたあと)に聞いて腹はたったけどどうでもよかった。だってどうせ辞めるし、という調子だったから。
ていうか歓送迎会中止することその時の私にキレることなくない?
なかなか予約が取れない店だとのことだがそれなら私抜きでも行ったらよろしやん、である(歓送迎会とは)。
器のちっちぇえ男だな、と思う。いやほんま器のちっちぇえ男だな。
その後また私はこの店の所属長及び人事部長に振り回されることとなる。辞めるギリギリまで人事部長には振り回される。
メンタルヘルスの研修ってホント形だけなんだろうな。だって研修受ける人はそんな経験ない人が大半だろうから。そりゃ寄り添えるはずがない。だってわかんないもの。
自分でさえパニック障害になって初めてつらさや苦しさやどうにもならない葛藤みたいなものが分かった。イメージなんて有名人が良くなる病気でしょ、みたいなもので。そりゃ知らなきゃ寄り添えるはずがない。
にしてもここの人事部長と所属長の対応は酷かったけど。主治医が呆れていたレベルなので。
理解できないなら放っておいて欲しい、に尽きる。知らないまま無理に寄り添おうとしてくれなくていい、付け焼き刃の知識で対応したってそんなのなんの意味もない。かと言って経験者は寄り添えば引っ張られるからそれもそれでよくないと思うけれど。
その場で聞き流していたとしてもこちらはわかっています。そもそも人事部長は頼りになどしていなかったけれど。
もう少しだけ続きそうです。