2024年最後の新月は2025年の希望に続くかもしれない
久しぶりに記事を書こうと開いたらこんなメッセージが表れてほっこりしました。
さて、能登半島の大地震に航空機の衝突炎上事故から始まった2024年が暮れようとしています。そしてこの大詰めに、ついに国民の実情を理解している政党がこの先を明るく照らすために戦いを挑んでくれ、税金まみれの世界がひっくり返る予感を醸し出し、陰鬱な空気が少しは希望が持てる方向で変化してきている気がします。
その暮れも暮れ、いまさら12月31日が新月だということに気がつきました。
新月と言えば物事の始まりを暗示します。しかもこれから始まる2025年、それを迎えようとする前日が新月。なかなか幸先がよさそうです。また2025年の進路を決めるにはとてもよいタイミングです。
2024年、みなさんの生活環境はどうだったでしょうか。
私は正直しんどい1年でした。新型コロナ対策の副産物として自由な働き方が半ば強制的とはいえようやく広がったにもかかわらず、いま再び社会が逆戻りしようとしているからです。出社しろとの圧力との闘いが。。
今思うと新型コロナ禍は、社会が進化するための触媒的なウイルスだったのかもしれません。せっかくの経験を、生み出した知恵を無駄にしてはならないと思うのです。
副業許可の拡大、リモートワークの拡大、フリーランス層の拡大、委託業務の範囲拡大。フリーマーケット市場の拡大。
これらは、家族の介護育児にかかわっている人、シングルマザーやシングルファーザー、心身にハンディキャップを抱えている人、などなど、それぞれの立ち位置から、少し距離ができてしまった社会との距離を縮め、社会参加の敷居を下げ、少しでも自分の生活を取り戻せるよう、背中を押してくれる仕組みでもあります。
そして施策としては2010年代からすでにあったものの遅々として進まなかったことが、未知のウイルスによる外出制限がある環境で急速に進化しました。
現役でいる年齢の上限を取り払う意味でも有効な仕組みだと思います。
誰にでもいつかやってくる高齢者としての自分。そのときにどう立ち回るのか、どういう形で生きるためのお金を獲得し生活をまわしていくか。その視点で選択肢に入ってくるものばかりです。
これらのことを踏まえ、このnoteは働き方をベースに記事を書いています。働き方というのはその人の生き方そのものだと思います。そして働き方を考えるということは、生き方そのものを考えることだと思います。また不可抗力な環境の変化に対してどう柔軟に生きるべきか、といったテーマも含まれてきます。
2025年、私は55歳を迎えます。30年ほど前、この年で定年となる職場がまだまだ多数ありました。その年に到達しようとするいま、体力、体の機能、精神力の衰えとともにこの年での定年は理にかなっているなとも思いました。
でもこれからも生きないといけない以上、自分の生活を回す、特に企業に依存せず(雇われず)に生きることも大事なことになってきます。10年が経過するビジネスケアラーとしての経験も踏まえて役立ちそうな知見を共有したい。そう思ってます。
2024年最後の新月を超え、みなさまがそれぞれの目標に向けて進みだせる年になりますように。またすでに目標がある人にとっては目標地点への到達が確実になる年となりますように。お互いにがんばりましょう!