帰ってきてヘルニアマン
無事に終わったはずのヘルニア手術。
あの忌々しい坐骨神経痛の痛みからも解放されて、世界を無尽に闊歩できる。
そう思っていたのもつかの間。
実は坐骨神経痛、治っていませんでした。。
正確には左側に走っていた痛みは完治したのだが、痛みが綺麗に右側に反転したのである。
哀しいかな、私はまた足を引きずりながらの生活である。
自分の中でそれなりの覚悟を決めてメスを入れてもらっただけに、ちょっと凹んだ。
私の心が凹んでも腰椎に張り出したヘルニアは引っ込まないのがやはり哀しい。
このしつこい病巣。オカルトな話ではあるが、じつは生霊祟りなのではないかと私は疑っている。
いつか沼津に旅行に行ったときのことである。
暮がかった駅前で泣きわめくおばさんを見た。
「あしがいたああい! もうあるけなあああい!」
おばさんは人目も気にせず、頑是ない子供がだだをこねるように喚いていた。
私はその年甲斐もなく泣きわめくおばさんを笑った。
さらに笑うに飽き足らず、旅行からしばらく経ったあとも、その印象的なおばさんの泣きようを人に真似てさえ見せたのである。
それからしばらくして、私の左脚が痛み始めた。
マッサージをしても、薬を飲んでも、注射を飲んでも治らない。
あしがいたああい! と泣きわめきたいのは、人を笑いものにした私の方になった。
人を笑わば穴二つ。
自分の背中に二つ目の穴が開きそうというところが笑いどころである。
あのおばさんが原因なら、いまから急いでその消息を確かめたいと思っている。もしだれか心当たりあれば、ご連絡いただきたい。
万一見つかることがあれば、急ぎあのおばさまの前に土下座して、痛い方の靴を舐めながら、渾身の力を込めて謝りたいと思っている。それで治るのなら、だけれども。
根深い、坐骨神経痛。ここに来てもう一つオカルトな原因説が持ち上がったりもしている。
母曰く、私の腰を曲げた歩き方が母方の祖父の歩き方にそっくりらしいのである。
「じいさん、のりうつってるんじゃないの」
そういえば、脚が痛くなってからしばらく祖父の仏壇に線香をあげていないような気がする。
知らない人を探して土下座するより、祖父に手を合わせる方が治りそうな気がする。
即効性はないにしても、手術の成功くらいはなんとかしてほしい。
似ているわりには不孝な孫の身勝手な願いではあるのだけれど。