あなたのために、手紙のように。
小説を書いて、世に出したとき、一般的な作者はその作品にどうなってほしいと思うもだろうか。
なんらかの賞に応募して、あらゆる作品を押しのけ受賞の栄光を勝ち取る。
わりとイメージしやすいし、やはり名のある審査員に評価してもらいたいというのは世の物書きの強い願いなのかもしれない。
あるいはそういう認められたという指標として「ベストセラー」という称号がある。これもまた一つわかりやすい栄冠である。
広く読まれるというのは、やはりわかりやすい認められ方で、ついでにベストセラーであれば商業的、社会的成功も付いてくる。
あるいはロングセラーというのもあって、作者の死後にもずっと読み継がれるという栄冠もある。
そこまではいかなくても、知る人ぞ知る名著だとか、人を選ぶけれど特定の人には信仰に近い読まれ方をしている作品もあるかもしれない。
いろいろ考えてはみたけれど、どうにも自分にはそういうものを目指すだけの力も思いもあまりない。
もちろん世間的に認められたい、という思いはあるけれど、私としては誰かに読んでもらいたいとは思っている。
そう思っているからこそ、賞に応募するでもなく、毎年さほど売れない同人誌を刷っては、毎度懲りずに損を出しては在庫に悶えるのである。
広く読んでほしいけれど、売れるようなものを書くほどの商業的センスもない。
売れない割に妙なプライドもあるので、売れるようなものを狙って書きたいわけでもない。
結局自分の都合側で折り合いをつけたところの、自分が書きたいものを書いて、手売りで届く範囲で頑張って届けるというところに落ち着いているのが近頃の私のような気がしている。
たくさんは売れないし、刷れない。
だったら、もう極端に振り切ってしまったらどうだろうかと、最近は考えている。
ミリオンセラーではなく、もっと少なく。
極限まで少なく。
つまり一冊。
出版という公にする行為をは、真逆に、いわば私信のように本を作るのはどうだろう。
二十冊、三十冊と同じ本を、同じ本を読んでもらうのではなく、一人の人に一つの物語を提供する。
私と、受け取った人しか知らない、手紙のような本。
印刷費は高くつくし、その一冊ですら売れる見込みはない。その一人だけの読者がその本を気に入るとも限らない。気に入ったとしても一冊しかないのだから、その読者以外からも評価されようもない。
あまりに非効率で、実現するかもあやふやな話なのだけれど、私はかなりこの想像に魅力を感じている。
公ではなく個のための出版。
あなたのために、手紙のように。
欲しい人がいるかどうか、それはちょっと想像がつかないのだけれど。