21歳からの年齢考察
「私は21歳からの歳を取るのが怖い」
21歳なんて人生という時計から見たら赤ちゃんだそんなこと百も承知で書こうと思った。
私は21歳の女で、なんとなく日本では30までが女のリミットなんて言われてる、どれだけ稼いでいてもどれだけ本人が幸せだと言っても、それは大概の人には強がりにしか聞こえなくなってしまってるんだ。
その感覚は一体いつからこんなにも沢山の人に植え付けられてしまったのか考えてみたんです。
私は今でこそ多様性が受け入れ始められている東京で暮らしているけれど(2年も経ってないから大口たたけないけれど)
大人。と言われるギリギリまでを田んぼがありすぎるわけでも電車が1時間に一本な訳でもないけれど、誰もが田舎だと認めるような場所で暮らしていて、その頃を思い出せば一瞬だ。
小学生ながらに、子どもはお母さんの年齢でプチマウントをとるんだ、子供だけでもない、先生までもだ、小学生時点で母親が20代だったら
「うわ〜若いね、何歳で産んだの?」
これだ。ただの興味でない、憧れや尊敬の念の入ったセリフだった。
私の母親は、今でこそ一般的だと思う28歳で私を産んだけれど、私の地元ではそれは遅い、だからなんとなく母親の年齢を誤魔化して、あー30前後だっけなあなんて言ってしまっていた。
小学生がだ。
それから年齢の呪縛は解けない。マイナス5歳とデカデカとトレンドマークにする広告、若いイコールなんでもできる、君たちの可能性は無限大、
ああ、自分たちがひたすらに若さを褒められていたから、歳を取るのは怖いことだと植え付けられてしまっているんだ
でも映画に出てくる老人はとても味があって、私からしたら憧れでしかない。
「阪急電車」に出てくるたくさんの人に影響をあたえるおばあさん、
「マイインターン」に出てくる会社に良い影響しか与えないおじいさん
だけどおばさんやおじさんは?ババアやジジイと言われ煙たがれるとかしか私は目にしていないのだ、ちょっとした希望と言えば
「セックスアンドシティ」のサマンサだ、彼女は強い。けどあの強さは周りを見ないという前提からある
結局私たちがずっと自分に自信を持って生きるには、現段階では周りを見れないほどの自信に見なぎり、周りを見れないほど誰かに愛されるしかないのだ、
「私は21歳からの歳を取るのが怖い」