「少しだけ、三原市政の話」
私は、生粋の三原生まれ三原育ち。三原を愛する48歳。食品関係、とくにパン作りを生業としている、無位無官のたんなる小さいパン屋の経営者。経済的に政治的な思想は、基本的に「個人主義、自由主義」。神の見えざる手を信じて生きています。
そして、日本風のリベラルではなく、ほんまもんのリベラリストとして、社会の一員として生きているつもりです。
ですから、基本的に、思想が違おうと、相手の意見は尊重するし、納得すれば同意して、応援します。なんたら党とか関係なしで。三原のため、広島県のため、日本のため、世界のために、真剣に考えて、稚拙な知識の中から一生懸命考えて、自分自身で答えを出します。これが個人主義者のリベラリストの本質です。
世の中、今政権を取っている党が「保守」と呼ばれていますが、アタクシからみると、どう考えても「中道」か、「革新」。
野党は全部、「保守」。共産党だけ、日和見(そもそも、国益って考え方がない。ずっとふらふら、いいとこどり)。
そんな中で、今年は「三原市議会選」という、二元代表制の片っぽの選挙があるのです。
昨年は「三原市長選」があり、私が現市長の「岡田市長」をがっつり応援したのはご存知の通り。世の中、自民党につながりのある候補を反射的に敬遠する風潮がありますが、あれは、ほぼ「アンチジャイアンツ」みたいなもんで、理論的というより、感情的な面が多いような気がします。
政策実行能力、人材、経験。すべては自民党が1歩以上野党より優秀です。「政治とカネ」という問題は、政治がある以上、絶対に起こりうることです。モノを食べれれば○○が出る。言い方は悪いですが、そういうことです。しかも人間はものを食べなきゃ生きていけない。活動もできない。現実主義者としては、出来る限り法で規制し、しっかり監視し、正しくカネを使ってもらうように、検察などの機関に頑張ってもらえばいいことです。
話は大きく脱線しましたが、ローカルな「三原市議会選挙」の話でしたね。
そもそも、三原市議会って、機能しているんでしょうか?
根本的に二元代表制とは、行政の首長も、監視・提案する議会も、住民が選ぶ、ということです。
つまり、議会は、「監視・提案」が役割であり、三原市全体の事を踏まえて考える必要があります。
ですから、「地域の代表」を議員に出す・・・という発想ではなく「地域の中から、三原市の事考えつつ、地域のことも一言言える人」が議員になるべきなのです。
市議会だよりなどで、議会の内容は公表されています。
それを見ると、その市議の考えていることは一目瞭然。
もう、うんざりするぐらいの「村社会の代表」が市議を占めているのは、一読すればわかることです。
ですから、改めて「市議会議員」。ひいては「県議会議員」。そして「国会議員」。
最後に、われわれの基本である「民主主義」。
正確に、子どもに伝えることができますか?説明することができますか?
「おまー若ぁーのー。現実は違うんじゃ」と言われれば、アタクシは「へー」と言って、ため息つくだけです。じゃけえ、政治も世の中も良くならんのじゃし、税金もきちんと使われんわけですよ。理想は理想として、それに近づく努力をしなければ、単なる絵に描いた餅で、世の中別に民主主義じゃなくてもいいわけですよ。そういう「村社会」のエゴをぶつけ合う政治体系にしたらええじゃないですか。政治とカネにまみれてやればいいわけじゃないですか。
大多数の人が、そう思っていれば、そういう国になるだけです。
きれいごと言いましたが、きれいごとは理想です。それに近づけてゆくのが人間の努力であり、叡智なのだと思います。
ですから、今回の市議選。私は応援する候補はもう決めていますが、その人は、三原のことを本当に良くしたいと思っている人です。ただし・・・、まあ、オイタもしましたけどね。
人は間違える生き物です。でも、それを乗り越えてこそ、人間なのだと思います。
そして、今回引退を表明した、とある女性議員を、2期応援しておりました。その方に対して、本来の市議の活動をしっかりされて、大変尊敬しておりましたし、3期目に立候補を見送ったことが大変残念です。
そのぶん、今回応援する候補については、私自身、しっかり物申しながら、支えて行ければいいなと思います。
ちなみに、アタクシは、政治は大嫌いです。(笑)