「通貨」というもの
昔々、縄文時代、我が国は狩猟と採集の食文化だったと思われます。
そして、弥生時代になり、稲作などの農耕文化が発達してゆき、食材の貯蓄ということができるようになりました。これが、実は「貧富の差」を生む原因になるとはその当時の人たちにはわからなかったでしょう。
食材貯蓄=財産と考えるならば、その量はすべての人には平等ではありません。たくさん取れる場所。そうでない場所。たくさん人がいる場所。そうでない場所。狩猟採集文化との接合。いろんな面が生じてきます。
基本的に物々交換だったのが、「銭」という等価交換のシステムが入り込み、今度は、食材貯蓄=銭の貯蓄=富の貯蓄という観念に変わってゆきます。
日本においては「和同開珎」が通貨の最初と呼ばれています。8世紀初頭の話です。しかし、やはり突然「貨幣経済」に移行できるわけではなく、結局は物々交換の時代が続きます。
その物々交換の基本となる単位が「米」や「布」。弥生時代から貯蓄に用いられた米が、物々交換の単位の一つとなったわけです。
この「米」という食べ物はこれからなんと1000年以上、我が国にとっての「資本の単位」となるわけです。
銭・銀・金の単位が整うまでには、かなりの時間がかかりました。特に日本では銀の算出より金の算出のほうが多く、銀と金との間に、あまり価値の差がなかったため、後々、外国との取引で、日本の金が大量に流出することとなりますが、それはまた、別の話。
貨幣経済が安定したのは、江戸時代位になるんですかねえ。室町時代に足利義満が「宋銭」を輸入していますから、室町から戦国時代、江戸時代までは、やはり「米」が基本で、やっと金・銀・銅が並行して発達していったように思えます。