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夫という人

率直に言って、夫は決して悪い人ではない。むしろ温厚で優しい人間だ。子供と時間を過ごすことを優先するくらい子煩悩で、子供達のためならなんでもする献身的な父親だ。私の父とは正反対で、どの角度から見ても理想的な父親像そのものだ。

出会った頃の彼は、照れ屋でありながら自信に満ちていた。エンジニア職で海外出張が多く、世界の多様文化と言語に興味をもつほど視野は広く、そのライフスタイルを楽しんでいた。私生活でも最低友人が2、3人はいたので、友人の誘いで飲みに行ったり、コンサートに行ったり、セーリングやスノボにも行ってるほど社交的だった。

自転車とオートバイが好きなので出勤はオートバイでし、休日は街中をサイクリングするなど活発的だった。高校時代に水泳をしてたので、ジムでよく水泳もしていてがっちり体型。ルックスもそんなに悪くない。

音楽好きなのでギターを数本所有し、休日には音楽を聴きながらギターも弾いていた。会社の同僚とバンドを組み、会社主催のピクニックで演奏さえ何度かしたことがあった。

動植物好きで、常に観葉植物に囲まれ、出会った頃はグリーンイグアナを数年飼育し、献身的に世話をしていた。子供達が生まれる前は、お互い犬好きであるのもあって、動物保護施設から2匹迎えて一緒に世話をしていた。

料理好きで、出会った頃は料理本を片手に、食材をマーケットまで買いに行き、新しいレシピを試しては嬉しそうにしていた。遊びに行く度に何か作ってくれ、お返しに私も日本食を作ったりと、キッチンに二人で立つ時間が楽しかった。子供達が生まれる前まで、家庭菜園もして、美味しいトマトでトマトソースを大量に作ったりもしていた。

性格は穏やかなのだけれど、こだわりが人一倍ある。しかも、エンジニアという職業柄か知識豊富なので、なにか意見が合わないと学術的な証拠や説明付けがない限り簡単に納得しない。おばあちゃんの豆知識的な事を言うと、その理屈が科学的に証明されてないと簡単に信じない。さらに自分の意見を曲げない。とにかく面倒臭い人なのだ。

また、典型的な日本人男性のように、物静かで愛情表現が乏しいところがある。自ら愛情表現をすることがないので、しびれを切らして私がいつも表言するというのがパターンだった。そもそも一般的なカップルがやるような事をあえてやりたくない質だ。私の誕生日も忘れることはあったし、覚えていてもとりわけなにをするわけでもない。

なにか一緒にすると言う事も、よっぽど本人がしたい事ではない限り、ほとんど私が提案し行動していた。それは今でも変わらないが、ここ数年はますます自ら行動をあまりしなくなった。子供達をどこかに連れて行くプランはほぼ私が立てているのだ。ゲームが昔から好きなので、子供達がゲームをすようになってから、平日は仕事以外の時間はゲームばかりしている。

こだわりが強いので、なにか生活の中で私が不満を言うと嫌がる。例えば、室内で靴を脱ぐ日本人の習慣に対して、それを説得し習慣づけるまで数年を要したくらいだ。こだわりが強いわりには、ズボラなところ(特に家事)はズボラなので、性格的に正反対の私は、彼のやり方に順応するのに苦労した。

ちゃらちゃらしてないし、価値観が素朴で堅実家で、しっかりキャリアも生活も地についてる。身だしなみも普通だし、静かでストイックな物腰で、私の父のような癇癪を起こすタイプではない。だから惹かれた。だから結婚しても良いと思ったのだ。

この数年、かつてやっていた事を彼はやらなくなった。友人と出かける事が全くなくなり、家庭菜園もしなくなり、犬の世話もほとんどしなくなった。家事もほとんど私任せで、料理も1ヶ月に一回か二回する程度。身だしなみも乱れ、姿勢も表情も暗くなっていった。自分はどうでもいい、子供達のために生きていると言った、自己犠牲的なことをよく口にするようになる。

もちろん子煩悩なので、子供たちと一緒に遊ぶことや子供達が好きなピザを焼いたりするのは積極的にやる。子供達が幼児の頃は、スキンシップをたくさんして愛情表現を頻繁にしていた。ただ不可解なのは、それは私に対しては絶対しないのだ。

さらに、子供達の夜泣きで不眠が続き育児に疲れた私が、感情を爆発すると逆ギレする。私が感情を爆発しなくてとも、育児の悩みや不安をネガティブな口調で愚痴ると、迷惑そうな表情をし冷たい口調で「君はネガティブだ。物事のポジティブな面に目を向けた方がいい。」と言い放つ。一見このようなコメントは、道理に叶う正論ではあるのだが、心身ともに疲れてる私にとっては、私の気持ちに寄り添うどころか、突き放すような言葉しか聞こえない。それについて私が怒ると、また逆ギレするのだ。

とにかく人の気持ちがわからない。それは昔からそうだった。人の感情の小さなサインを読み取れないのだ。涙を流し感情的になってる私に、そっと寄り添い抱き締めるといった事はほとんどしなかった。その代わり、解決策を提案し論じる。私は解決策など訊いてないのだ。ただ私の気持ちを受け止め寄り添ってほしい。私は不安を軽減したいだけなのに。。。

愛情表現と同様に、こういった寄り添うという行動は、幼児だった子供達にはよくしていた。ただ私にはしないのだ。それに気づく度に私は深く傷ついた。それをどんなに丁寧に伝えても、本人は自己防衛にエネルギーを注ぐだけでわかってもらえない。ますます負のループに陥るパターンなのである。

そして、こんなに君のために家族のためにやってるのに君は感謝してない!と捨て台詞を吐く。

その言葉を聞くたびに、かつて私の父が母を叱責した暴言が頭の中で木霊する。

養ってもらってるのにそんな言い方はなんだ!

子供達がまだ夜通し寝ない赤子時代、夜の世話を手伝って欲しいと泣き崩れたことがあった。その時彼の口から出た言葉はこれだ。

俺は一家の稼ぎ手だからできない!

パーソナルティー障害には、いろいろなタイプがある。自身の信念を曲げない頑固さやプライドの高さと冷たい態度は、自己愛性パーソナルティー障害なのだろうか?と疑った事もあるが、頭脳明晰でこだわりがあるから、ただ単に人の気持ちを感じ取れないのなら、自閉スペクトラム症なのか?いろいろ特徴をネットで調べたが、すべて説明つくほど合致してない。

しかし、子供の頃にADHDの疑いがあったのは、義母から聞いてはいた。正式に医者から診断は受けておらず、当時小学校で落ち着かせるために、義母がコーヒーを飲ませていたと言うトンデモ民間療法?の話は聞いたことがある。

落ち着きない名残は今でもあり、貧乏揺すりはするし、なにか手先を動かしてないと落ち着かないらしい。だからゲームをよくしているのかもしれない。

アルコール依存症患者の多くは、なんらかの精神疾患を持ち合わせてるケースが多いらしい。それはADHDだったり、ASD(自閉スペクトラム症)だったり、はたまた虐待を受けた背景からくる精神疾患だったり色々だ。

いったい何が彼をアルコール依存症にしてしまったのだろうか。それだけが疑問でならないのだ。



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