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【仕事から心理的距離を取ってみた】#4 距離を取ってみて

仕事から距離を取りたいと思った理由を書いた。

#3については内容が内容だけに決して断定口調にならないように気をつけた結果、ほぼすべての文が「思う」「感じる」で閉められている。読みにくいが、絶対に言い切らないぞ!これはただの個人的お気持ちなのだ!!!の強い意志を感じる。

#2,3で理由は書いた。では、実際距離は取れたのか、取ってみてどうだったのかについて書きたい。

仕事から心理的距離は取れた?

結論から言うと取れた。これは定量的に測れる項目も少ないため完全に体感になるが、私としてはガンガンに距離を取れていたと感じる。
具体的に言うと、まず残業を辞めた。というか、閑散期なので残業するほどの業務がない。ありがとう閑散期。200km/hで走っていた時がもはや懐かしい。
次に、これ不毛だな…と感じていた業務をいくつか消した。これは「消すための調整に動くよりもやってしまった方が楽」理論でこなしてしまっていたが、閑散期となり余力が出来たので調整の結果消した。グッジョブ自分。
さらに、役割の整理もした。「これ本来は私の役割じゃないだろ…ただ、今は騒ぎ立てる気力すらないのでやります…」みたいな役割が複数あり、それを整理して調整、他の人に割り振った。引き継ぎまでしっかり対応したので褒められポイントだ。

と、ここまで書いて、結局心理的距離を取ろうとした結果、まずは物理的接触時間を減らしている。大事なことだ。単純接触効果で好きになることすらあるのだから、まずは単純に接触時間を減らすのが手っ取り早い。
ここまでやると、ある程度仕事との物理的接触時間時間が減る。

また、これまで物理的に仕事をしていない時も「あの提案書はこうして…」「あの仕様はこういう方がいいのでは?」「あの話を〇〇さんにまず話そう。そうするにはあの会議の前に…直接話した方が早いから…」など、頭は仕事にフルコミットしていることも多かったが、それを意識的に辞めた。給与もでない。これは、辞めよう!という強い意志で辞めたというよりも、次のアクションが具体的に決まるまでは仕事、と括ることでこれらの思考を業務に含めることにした、という方が近い。ネクストアクションが自分の中で決まっているので、プライベートの時間で頭のCPUを仕事に割くことを減らした。

ある程度仕事から物理的に距離を取れると、必然と心理的距離も取れるようになる。また、プライベートの時間が浮かび上がってくるようになるので、そのプライベートの時間で自分がやりたかったことをやるようにした。
特段大きなことはないが、日記を書いたり絵を描いたり本を読んだり興味のあることを唐突に調べたり…。すると脳が仕事からプライベートというか、自分や自分の身の回りのことに切り替わるのを感じる。これが気持ちいい。

夏は大学のスクーリング授業を2つ取った。スクーリングは通学が必要な対面授業で、基本的に6日間通学し受講することで単位がもらえる。それを2つ取ったので、12日間通学したことになる。通算して約2週間休むことになる。去年はいやいや流石にトータル2週間は…と思い断念したが、今年は取ってみた。閑散期なことももちろんあるが、意外と取れたので来年も取りたい。こういうのは実績を作った者勝ちだ。
これこそ物理的に仕事から距離を取ったことになるが、6日間仕事から離れ他のことに集中すること自体、デトックス効果があると思う。これもとても楽しく気持ちよかった。

ちなみに、夏のスクーリングの内の1つが彫刻の授業で、これがまぁつらかった。このつらさは精神的つらさというより肉体的なつらさで、マジで何よりも体が資本だということを私に刻みつけた。彫刻を彫っている気でいたが、刻みつけられる側だった。こわい。
ただ、「たいていの悩み事は肉体が限界まで疲れているとそもそも悩めないので消える」ということも学んだ。世の中筋トレブームの理由がわかった。悩みすぎてしまう時は、まず肉体を鍛えよう。話はそれからだ。

また、学友の個展に伺ったり座学の授業で仕事では使わない考え方や受け取り方を学んだりと、思考自体も仕事から距離を取れる機会が多かったことも、心理的距離が取れたと感じる理由だ。
要は仕事から物理的に距離をとり、出来た時間に興味関心があることを入れたら必然的に心理的距離も取れた。

仕事から心理的距離を取ってみてどう?

これは端的にいうと楽しい。仕事よりも自分の興味のある分野に掛けている時間の方が多くなっているので、これはわかりやすい。ただ、それ以上に自分の気持ちの機微を受け止めやすくなったこと、今の自分が今の仕事に求めていることが具体的にわかったことの2点が、距離を取ってみてよかったことだと感じる。

私は従来客観性が高いタイプなので自分の感情に振り回されることは少ないのだけれど、逆にそれが理由で自分の気持ちがわからなくなることも多かった。そんな中、自分の気持ちを味わうということはこういうことか、と今回の取り組みで感じることができた。風が気持ちいい、このくらいの温度が好き、生きるのこと自体には別に不要だけど自分にとっては必要なもの、妥協できるところ、出来ないところ、木々の緑が綺麗、許せるところ、無意識に許せないと感じていること、など取り留めのないことを考えたり感じたりする時間が持てたことは、何かにコミットしたわけでも成果を出したわけでもないけれどよかった。

また、今の自分が仕事に求めているもの、というか求めていたことがより明確になったとも思う。私は自分のことを「仕事に興味はないが仕事は嫌いではない」と理解していた。今振り返っても間違ってはいない。ただ、「興味はない」が差しているのが業務内容で、「嫌いではない」が差しているのが職務内容だったことがわかった、という話だ。私は広い意味でITに関わる仕事をしている。経歴書もきれいなタイプだが、そもそも私の主たる業務=ITに興味がない。これは新卒の頃からわかっていたことだが、こんなに働いても1ミリも興味が持てないなんて逆にすごい。なぜ働けているのか…

おそらく、この「こんなに興味がないのに、なぜ働けているのか?」の問いに対する答えになるのが「職務内容は嫌いではない」という部分だ。
私のこれまでの働き方は大枠がプロジェクト単位のもので、「現状と理想とのギャップを課題と定義し、その課題解決のためプロジェクトメンバーと協力し合いながら自分の役割を全うする」という働き方をしてきた。プロジェクト規模やプロジェクト内の役割/立場、プロジェクトが求められていることは変われど、基本的にはプロジェクト単位の働き方である。私はこのプロジェクト単位での働き方、もっと具体的にいうと「課題解決のためプロジェクトメンバーと協力し合いながら自分の役割を全うする」という部分が好きだ。というか、性に合っているのだと思う。中高大を吹奏楽部で過ごしているため、「1曲を演奏するために自分の役割(パート)を全うする」という考えが(無自覚的に)染み付いている。また、課題を解決するという、ある種ゴールが明確にあることもわかりやすく動きやすい。プロジェクト毎に期限も決まっているため、数年単位で異なるプロジェクトに関わることになるのも、飽き性(これは最近気づいた)な私に取っては好都合だ。

また、「プロジェクトメンバーと協力し合いながら」という部分が、思った以上に自分にとっては大事だった。私が「これはやり甲斐があった」「自分としては成長できた」と感じる仕事は、規模や内容、役割というより、人と協力、相談し合いながら進めることができた仕事だ。プラスして、自分が働きやすいのもまた、人と協力し合える環境だ。

私は仕事に(というか会社に?)、「自分の役割」と「人と協力し合える必然性の提供」、を求めていたのだ。きっと。

今後のキャリア

お金を稼ぐ、ということを主軸に考えるとサラリーマン以外にも選択肢は多い。(自分か選択出来るかは別として)
また、「自分の役割」と「人と協力し合える必然性の提供」を仕事だけに求めるのはなんだか危ない気もする。役割が多いのも疲れるが、社会との関わり方がビジネスだけでいいのかという疑問もある。もっと他の関わり方はないのか。

これまで自分のキャリアは業界×業務×職種(×職位)を軸に考えきた。しかし、今回仕事から距離を取ったことで、もう少し広い範囲で考えてみてもよいかもなと思うことが出来た。また、仕事に求めていたものは本当に仕事でしかた得られないものなのか、ということも改めて考えるきっかけとなった。今まで、「自分と社会との関わり方」という軸で真剣に考えたことがないので、もう少し深ぼってみてもいい気がする。


ちなみに、#2で書いた「他人が作った大きな組織の歯車として権力を持つことへの心理的な疑問」は解決していない。今も怖いと思っている。
#3で書いた「これからの世の中と今の自分の働き方のギャップが気になった」件も解決していない。今も気になっている。これは「自分の社会との関わり方」にも関わってくるはずだ。関わってばっかりだ。

仕事から心理的距離を取ってみた

最終的な総括として、仕事から心理的距離を取ってみた結果、楽しかったが劇的な変化は特にない。そもそも、距離を取ると言いつつ週5で働いている。

ただ、2024年度上期は充実して過ごすことができた。上述したが私は「仕事は興味はないが嫌いではない」ので、もしかして距離を取ろうとしてもなあなあになり距離は取れないのでは?という懸念もあったが、まったく無駄な懸念だった。距離、全然取れる。なんなら私の気持ちとしてはまだまだ取れる。

しかし、会社としてもいつまでも閑散期というわけにはいかない。そして、そろそろバレている。実は私が仕事上暇だということが。
そのため2024年度下期に入った途端、あんなに一緒にいた閑散期はどこかへ行ってしまった。突然降って湧くのでいなくなるのも突然だ。寂しい…またいつでも来てね閑散期…

仕事とは持ちつ持たれつやっていこうと思う。

終わり。



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