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【仕事から心理的距離を取ってみた】#2 心理的距離を取ろうと思った理由

#1では、「なぜ仕事から心理的距離を取ろうと思ったの?」ということを書きたかったが、列車ジャックされた話で終わった。
今回こそ「なぜ仕事から心理的距離を取ろうと思ったの」かを書きたい。

#1の冒頭にも書いたが、「なぜ仕事から心理的距離を取ろうと思ったの?」の回答は、端的にいうと仕事が盛り上がったからだ。ただ、#1に書いた「私が忙しかった理由」と「距離を取ろう」と思った理由は違う。


距離を取りたいと思った理由

仕事が盛り上がっていた中、私が一番つらかったことは、情報精査でも、上層部への説明でも、24356での勤務でも、私のキャパでは受け止めきれないほどの大それた話を聞かされることでもない。一般社員から「知ってることがあったらこっそり教えてよ」と言われることでも、「一生懸命やってるのにこんなに情報を隠されるなんて信用されてないってことかな…」と相談されることでもない。


では何かというと、
社内政治に巻き込まれることだ。


社内政治

まじでなんなんだ社内政治…
私のつらさを少しでも具体的に説明するには、社内政治の内情を説明する必要がある。私の振り回され具合を伝えたい。それに「こいつ、まじでこれ言ってるの…?人の心はないんか」と議事録を取りながら思った話もしたい。しかし、そのまま伝えることはできない。なぜなら社内政治だから。しかし伝えたい…!
(清く正しいサラリーマンなので本気で話したいわけではないが、フリぐらいかましたい。)

そこで、なんとか伝えようと可能な限りふんわりと、かつ50枚くらいのオブラートに包んだ概要を作り上げようとあぁでもないこうでもないと頭を捻り情報を削ぎ落として標準化してみたところ、すごくよく聞く社内政治のテンプレートのような内容になってしまった。これなら、別にこの場で説明するほどのことでもない。

けれど、せっかく考えたのでとりあえず書く。(オメガバース作品の冒頭説明だと思ってほしい。)

社内は穏健派と革命派とアウトローに分かれており、それぞれの思想を正として動いているが一概にどれが良くどれが悪いとも言いがたい状況だ。さらにその大きな枠組みの中で、部署内の派閥や個々人の思想が入り乱れ「え、あなた出世するためにそんな蹴り落とし方する人だったんすね…」的な出来事が起こったりする。

怖い。けれど、自分でテンプレを書いてみて思ったがこの三つ巴の戦いってもしかして日本史で既に履修済みの内容なのでは?
それに『BLEACH』(集英社 久保帯人)でも『暁のヨナ』(白泉社 草凪みずほ)でもなんか読んだことある…!もしかして、社内政治って組織あるところどこでも起こり得るものなのでは?というか、人が複数人集まり何かを成し遂げようとするとき、人に思想がある限り政治は必然的に発生するのだなきっと。

このテンプレ社内政治に私が疲弊していた要因は、今思うと
・部署が所属している派閥とサービスの相性
・部署内の派閥争いと私の立ち位置
に関することが大きい。みなさん、これらの情報から私の状況を読み解いてほしい。マダミスみたいになってきた。

ちなみに余談だが、列車ジャック緊急会議でAさん>Bさん>Cさんという上下関係の中、
A「これはBさんの意見も聞かないと。…いない?こんなときに?なんで?」
C「Bさんは今、ウガンダにいまして…」
A「どこだよ!」
C「南アフリカの…」
という会話があり、ウガンダの場所の説明いらんだろ、と面白かった。(ウガンダはケニアとコンゴ民主共和国に挟まれた南アフリカの内陸国。チンパンジーや珍しい鳥が多く生息している。)


私がつらかったこと

ここからは好き放題書ける。なぜなら、私個人の思考とお気持ちの話なので。
まず、「この話の事実はこう。これをそのまま伝えるとDさんが面白くないだろうから、この情報を少しマイルドにしよう。そうすると事態の大きさが伝わらないので、ここの話を強化する。報告するときに由岐さんから上げるとなんで現場から上がってくるんだ、Eさんはどうしたとなるから、Eさんが理解できるように情報を噛み砕いて、この微妙な温度感を伝えてくれる?」みたいなことが多かった。
私からしたら「は?」である。まず、お前が直接伝えろよ。なんで私を挟むんだ。という感じなのだが、伝達漏れがあった際に下っ端(私)のせいにできるようにである。これは私個人がどうという話ではなく、このポジションにいた人なら誰でもよい。取り敢えず「すみません!現場の伝達ミスで!」と言えるようにしたいだけなので、私に対する個人的な恨みなどではない(と思いたい)。まぁ、嫌だが戦略としてわからんでもない。嫌だけど。

次に、積極的無関心な人が多かった。これも気持ちはわかる。列車ジャック事件なんで関わらないことに越したことはない。下手すりゃせっかく上まで登ったのに責任問題で降ろされてしまうかもしれない。直近の人事でそういった理由で降格されていた方もいたので、なおさらである。明日は我が身というやつだ。
ペーペーの私はそもそも降りたところで大したことないので気にならないが、役職者はそうはいかない。それぞれの生活や社会人としての出口戦略もおありのことだろう。ただ、積極的無関心な人が多いと責任の所在が不明確になる。責任のボールが浮く。無重力空間にでも来たんかというくらいボールがふよふよ浮いている。また、シャボン玉と違い浮いている間に破裂して消えることもないので、ずっと浮いている。
そうすると、ふよふよしているのに耐えられなくなった、もしくはふよふよさせておくと自分に不利益がある人がたまらず回収していく。回収されたことで事態は良くも悪くも変化するが、回収した人が貧乏くじを引いた形になってしまう。積極的に動く方が損だ。
これも、客観的に見ればわかる。なるべく変な責任は負わず、別の派閥に押し付け、状況か好転してきたタイミングでほどよく発言したほうした方がいい。

また、身近なところで部内の派閥争いもあった。これは今後の方向性と部内での昇格争いが織り混ざったもので、個人的な本音を言うと心底どうでもいい。だが、そうもいかない。なぜなら、部としての考えをまとめないといけないからだ。
方向性を考える時に、トロッコ問題みたいなことが起こる。そうした時に、多数の人を助け一人を犠牲にする選択肢を取ることは、致し方ない面もあるだろう。ただ、そうするとどうしても確実に犠牲者は出る。その犠牲者に対しどう説明するのか、説明しないという選択肢もあるのか、どのような対応を取るのか取らないのか、意見が割れる。重大な問題なので意見が割れることは当然だ。そもそもこれが正解、という答えもない。ただ、大きな方針を考えているときに、個人利益享受のための忖度が発生すると、他のみんなが不幸せになる選択肢が当たり前のように選択されたりする。
具体例が書けない上に、にごして書いているのであまりにもふんわりした内容だけれど、こういったことも意外と世の中ではよくあると思う。
全体最適と個人の利益は必ずしも一致しない。なので、これもわかるといえばわかる。全体最適と個人の利益を考えた時、全体最適を選択したことで不利益が大きい個人はいる。そして、そもそもの事実を編集できれば楽になることもある。


わかっていいのか

ここまでごにょごにょ書いてきたが、当時の私は「はぁ!?とは思うがまぁ気持ちはわかる」の精神で全てをこなしてきた。というか、いちいち自分の「はぁ!?」という気持ちに丁寧に向き合っていたら仕事が回らない。当時の私は200km/hで走らなければならなかった。
そして、私個人の気持ちが大事な場面ではない、とも思っていた。それこそこの列車(プロジェクト)には内外問わず多くの人が乗っており、私個人の気持ちよりも優先すべきことは多い。基本的に「サラリーマンの仕事にやる気やモチベーションというものは必要ない。サラリーマンは会社からもらう金額に見合った仕事をすることで給与を得るという仕組みなので、作業の実施に対しやる気やモチベーションの有無は関係ない」というのが持論だ。

ただ、「わかっていいのか」の気持ちもあった。
戦略としてそういう判断をする、ということに対して「それは倫理に反するのでは」と思ったとする。しかし、そう思っても「まぁ経営層がそう判断するならそれが正解なのだろう」と思う。
「そのやり方は流石に人の心がないのでは…!?」と思ったとする。しかし「まぁ全体最適を考えるとそうした方がいいのかもな…」と自分を納得させる。
きれいなストーリーを作ろうとする。そうすると事実をそのまま伝えるよりも、少し編集した方が矛盾のないきれいなストーリーになる。そのときに「では耳心地のいいきれいなストーリーを選択するか」となる。それは嘘では…?と思うものの、「まぁ世の中案外そんなことも多いのかもしれないな…」と思う。

この大人としての「まぁ」で気持ちを上書くことで、自分のソウルジャムがどんどん濁っていく気がした。その反面「青臭いこと言ってんな」とツッコむ自分もいる。

これは、もう「どのような判断が正しかったのか」という話ではない。私自身が「これは私の反射的な気持ちよりも状況に対し適切な判断なのであろう」ということを前提に、自分の気持ちや思考を他者の思想で上書きしている気持ち悪さに耐えられなくなっているのではないか、という疑問が生まれたという話だ。もはや列車ジャックや多忙さは関係ない。


今までの仕事、これからの仕事

今思えば、数年前まで仕事とは実質"作業"が多かったように思う。自分では広い視野で物事を見ているつもりでもそれは自分の位置から見える範囲の話であった。得意先、お客様、と言ってもそれは一緒に仕事をしているその人、その部署、そのプロジェクトであることが多く、堂々と言うことではないが、その相手会社のことを真剣に考えたことはない。自分では視野を広く持っているつもりでいても、見える範囲を少し背伸びして見ているだけだったと思う。
自分をフォローするわけではないが、それはそれで悪いことではないとは思う。その年次、その立場、その役割でやるべきことや負っている責任は違う。新人なのであれば、今日自分に振られたタスクをこなす、困ったらすぐに相談するだけ出来れば100点だ。

ただ、私はそろそろ本格的にマネジメントの方向に進むか決める、決めたのであればそれ相応の努力するフェーズに来ており、今回の件で怖くなった。マネジメントの方向に進むのであれば、今までのように自分のチームだけをマネジメントしていれば良いというわけにはいかなくなる。部署外や会社のような、より大きな単位に意識を配る必要が出てくるのだと、今回の列車ジャックの件で痛感した。
大きな範囲に意識を配り全体最適を考える時、一人一人の気持ちを汲み取り反映することは無理だろう。それは当然のことであり、そこに異論はない。ただ、私がそれをしたいのか、それをするために大げさではあるが人生の時間を使い努力をする覚悟があるのか、という点において自分の気持ちがわからなくなった。


距離を取りたいと思った理由(again)

というわけで、閑散期にもなったことから、ここで一度仕事から心理的に距離を取り、これからの生活や、やりたいこと、やりたくないことなどを改めて棚卸ししようと思った。これが、仕事から心理的距離を取ろうと思った理由だ。



長かった〜〜〜。ここまで説明するのに#1と合わせて約9,000字書いている。大学の未提出レポートが溜まっているのに私は一体なぜ…

#1を読んでくださった方々から「面白かった!」の感想をいただきとても嬉しかった。
しかし、今回は日曜劇場テイストも薄く、完全な私のお気持ち表明なので、期待を裏切っていたら申し訳ない。

そして、なんと仕事から心理的距離を取りたいと思った理由はもう一つある。
流石に長すぎるのでここでは書かない。もしかしたら割愛するかもしれない。自分で話が長すぎて少し引いている。

続く。


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