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長嶋茂雄さん的言ってもいい?

先日、「酔っ払って帰って寝てたら野菜炒めを抱えてた。今、毛布洗ってる
(-_-;)」
という・・話を聞いて朝から爆笑。


この間、↑の野菜炒めの人が「アメリアさんはほっといても自分の道を
切り開いて行ける人」という言葉を言ってきた



これは当たってるし、そうじゃないとも言える。
結果論としてはそう見えているだけで

なんてことないように見えるけれども
水中では猛烈に足をかいてる涼しげな水鳥のよう。

笑っちゃうのが保育園で働いてた時に
散歩に行くのだけれども
わたしがあんまり汗をかかないため、
ある仲間が
「こっちはすっごい頑張ってるのに
涼しげな顔をしてるからムカつく(-_-;)」
ってやつだった。
いや、暑いよ。熱がこもってて不健康だろう。

今はこうして何事も無い感じて仕事をしているけれども
ここでも書きましたが去年の今は
無職から税務署の期間限定のアルバイトについたばかりだった。
その前は「もう死んじゃおう。」って思っていたのだ。

そんな風に思っていても
私の周りの人たちは親切で
大きなマスクメロン(好物)を送ってくれたり
引っ越しの時に愛知県から
モスバーガーの差し入れが突如
送られて来たりしたのだ。

そう思うと
「あーもうちょっと生きてても良いかも。
メロンは美味いし、凍えるような寒さの引っ越しでも
わたしを案じてくれる天使がいる」と。

もう一つの要因として、わたしは
「すごく考えてるけれど、アウトプットが
超感覚的」というのがある。これはもう
そういう仕様なんだな。
(名付けて長嶋茂雄的とのこと)


例えば
なんでスピリチュアル辞めたの?って聞かれたら
孫うことなく
「だってこの世は無だから。足したり引いたりする一切必要がない」って答えると思う。
その一言で、色々うんと考えた部分が大幅にカットされているのだ。

このざっくり、結果論バーンみたいな感じだから
その軽さ故に
ホームランバンバン打つには
来た玉を打てばいいんだよ、みたいな(笑)
風味に思われるのだ。

長嶋さんは天才だけど
わたしは凡人です。

その結果を出すに辺り
文字数にして20000文字くらい
したためているのだよ。

でもね。
死にたいと思った人(わたし)がこの世は
そもそも無なんだよって
悟ったら。

すぐにとはいかなかったけど
色んな張りぼてが取れて
楽になったんだ。

これを、あえていうなら
1回死んだと言ってもいい。
生きたままわたしという個が
失われた期間があったから。

それを、世間ではうつとか
いうんだが。

自分を失った状態で自分を再インストールするのは
簡単ではなかった。
どのOS?
どのスペック?
容量?
全くわからなかった。
自作パソコン(作ったことない)みたいだった。

でもね、よくできてんなーと
思ったのはね
自分は忘れてるんだけど
周りの人がパーツ持ってきてくれるんだよね。
「もしかして、これ?いる?」って。

例えばある人は
「アメリアさん、この本読んでみて」とか
「アメリアさん、ここいこう!」とか。
わたしの中の記憶とか、心に訴えるかのように。

そうそう。これだ!これかも?
と、模索してるうちに
一回?いや二回?
インストール失敗したんだ(笑
違う自分になってしまって。
またここで、心より、体を壊すんだな。
色んな検査したけどどっこも悪くなくて
(むしろ健康)
医師が
「診断書に何て書いていいかわからない。すまん」
と言ってきたのだ。

わたしがそこでウジウジしてると
息子がわたしに無理やり
車の運転をさせて
「お母さん、車ってのは前に進むもんなんだよ。わざわざバックで運転しないだろ」と
教えてくれた。

そして、少しずつ取り戻していくうちに
確かにでこぼこ道だし
色々あったけど
やーーっと出会えた自分がいたのだ。

そしてそこまでに、行くには
誰かしらの支えがあったのも事実だ。

だから、今の自分は長嶋茂雄さん的にも
いとおしいのだ。

この世は無だよって
色んな人に説明してるんだけど
なかなか手に取るようには
伝わらないものだなと。

でもこの質問については
しつこく答えられる自信はあるんだ。

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