【月刊あめのもり】2020年6月「拝啓 ボス THE MC様 新作『2020』のリリースに際して。」
さあ今日も、恒例の月1コラムです。
いや〜、1ヶ月というのは、本当に早いですね。
毎週でも、いや、毎日でも、きちんと立ち止まって、少しだけ自分を、そして日々の生活を省みる必要があります。
でないと、何もしていないままにただ時間が進んでいるようで。
これに勝る悲しさはありませんね。
そうです。毎日は、後ろから落ちていく橋。
いやでも忘れていく、それぞれの旅なんです。
そして、生きている意味は、生きている日々。
忙しい日々が、何よりも、美味だ!
(この記事は2020年6月30日に株式会社アイタイスの公式サイトに公開さ
れたものの転載になります。)
僕という人間をつくった2人の神様。
突然ですが、僕はTHE BLUE HERB(以下:TBH)というヒップホップグループが大好きです。
気づいた人もいるかも知れませんが、冒頭の訳の分からない(!?)変なテンションの言葉たちは、いわずもがな、TBHのリリック(=歌詞)ですね。
僕は、無数にある音楽のジャンルの中から、特にヒップホップを強く愛しているわけではないし、若い頃はともかく、大人になってからは、さほど音楽自体に傾倒しているわけでもないのですが、それでもTBHだけは、今でも新譜が出れば絶対に買うし、昨年はライブにも行きました。
(昨年リリースされた5枚目のアルバムは、ぜんぜんよくなかったけど・涙)
そしてこれは、弊社のスタッフページでも書いたのですが、大きくは同じ言葉を扱う仕事をする身として、90年代のダウンタウンの松ちゃんと、特にゼロ年代あたりまでのボス(=TBHのラッパー)は別格中の別格。
僕が今後もこのままずっとこの仕事をしながら、どれだけ研鑽を積もうとも、死ぬまで辿りつくことがないであろう領域に達していると思います。
もう、認めましょう。無理です。この2人は。
絶対に勝てない。それくらいすごい。凄まじい。美しい。
すべての言葉を扱う人が目指すべき頂が、そこにあると言っても、、、過言ですが。
まあ、もし興味がある人は、TBHのCDを買ってください。
1枚を選ぶなら、2002年リリースのセカンド・アルバム『Sell Our Soul』を。
松ちゃんに関しては、昔のガキのフリートークがYOUTUBEで見れますね。
坊主になる前のものを選んで見てみましょう。神がいますよ、そこに。
ニューミニアルバム『2020』リリース!
さて、そんなTBHの新作が7月2日リリースされるようです。もう明後日ですね。
5曲入りとのことなので、ミニアルバムと言ったところでしょうか。
タイトルは『2020』。なんだか、含みのある言葉です。
少し前までなら、誰も予測しえなかったことが起こった2020年。
ボスの中にも、思うところが多分にあるのでしょう。
そしてその作品を先行して、1ヶ月ほど前、「バラッドを俺等に」という曲のPVが、YOUTUBE上で公開されました。
もちろん、速攻で見ましたよ。僕は。
そして、速攻で萎えましたよ。ほんとに。
TBHに関しては、思い入れが強い分、イヤなところも多々あります。
「このアーティストのことは大好きだから、やることなすこと、ぜんぶ好き!」と言う人もいますが、僕は絶対にそうはならない。
そしてこのPVは、僕にとって、TBHの嫌いなところの一つが如実に出ちゃいました。
そう。それは……
表現が説明的
であるということ。
このPV、見ると分かりますが、リリックの内容が、そのまま映像になっているんですね。
ライブが終わって、Tシャツの汗を滝のように絞り落とす。
→
握手、サイン、記念撮影、乾杯をして、早めに箱を出る。
→
ホテルに向かう最後のコンビニでおにぎりを買う。
→
部屋に入り、マイクのヘッドを洗う。
→
買ったおにぎりは食わずに、シングルベッドに横たわる。
・
・
・
と、ボスが歌うリリックが、まるで台本かネームであるかのように、まったくそのまま映像になっています。
え……だったらそれって、映像にする意味、ある? それは、受け手が頭の中でできることですよね?
企画書に書いてある文言を、一言一句そのまま読んでいる、いちばん退屈なプレゼンを聞いているような……。
ボスともあろう人が、なぜそんな説明的なことをするの?
1人のファンとして、悔しさすら覚えます。
今回だけではない、絶対的な違和感。
昨年、7年ぶりにリリースされたアルバムでも同じような例はいくつも見られました。
たとえば「GETAWAY」という曲。バース部分の
「差別主義者は笑うよ 醜く」
というリリックの背後で
「匕、ヒ、ヒ、ヒ……」
という笑い声のサンプリングが流れます。
めちゃめちゃ説明的ですね。なぜわざわざそんな野暮なことをするんだろう。
まるで、何かに怯えているかのようです。
同じく最新アルバムの『SMALL TOWN, BIG HEART』(←このタイトルも正直キツい……)という曲の後半には、こんなリリックがあります。
ヒップホップを通して、世代がつながっていく喜びとでも言うのでしょうか。
そういうのが伝わってきて、リリック自体は悪くないと思うんですね。
ただ、問題はそのPVです。
これもオフィシャルのYOUTUBEに上がっているのですが、まさにこのリリックが流れる箇所。
あろうことか、実際にボスが赤ちゃんを抱っこしている映像が流れます。
しかも、それがはるか昔のことであることを伝えようとしたのか、わざわざそこだけセピア色にしちゃったりなんかして……。(4:45〜くらい)
ん〜、説明的! もう、見ていて恥ずかしいレベルです。
こんなのもありましたね。2007年にリリースされたサード・アルバム『LIFE STORY』の名曲(とされている?)、「この夜だけは」の冒頭部分。
ここでは、TBHの曲でよくみられる、日常的な会話を録音したものを曲に入れ込むという手法がとられます。
どうやらTBHのメンバーと仲のいい友人たちが、飲み屋に集まって会話をしているようです。
「おつかれーい!」「うぃーっす!」から始まる、どこにでもありそうな酒場での男たちの話。
テーブルのどこかに録音機械をこっそり忍ばせていたのか、もしくは台本通りに語られているだけなのか、それは僕には分からないですが、彼らの話題は、次第にTBHのアルバムへと移行していきます。
これ、わざわざCDに入れる必要ってある? うーん、かなりしんどいなぁ……。
※ちなみに、こんなに登場人物はいません。誰がしゃべっているのか分からないので。あしからず。
表現者としての矜持。
さて、かつて、ボスは、こんなリリックを残しています。
僕はこういった言葉に、共感します。
ちょっとカッコつけて言いますが、われわれクリエイターの表現において、実際に目に見えているもの、つまりコピーなら紡ぎ出された言葉それ自体。写真なら切り取られた瞬間。デザインなら視覚的に見えているモノ自体、それらは、その向こう側にある、大きな大きなものを感じさせ、また伝えるための、とっかかりでしかありません。
そのとっかかりである部分が、説明的であればあるほど、奥にある大きな世界は、狭まってしまう。これは当たり前の法則です。
受け手には決して小さくない想像力や理解力、洞察力があります。そこをくすぐってあげれば、表面的に見えているものを優に超えたバカでかいものを送り届けられる。
それを突き詰めることこそが、クリエイターの真骨頂です。
僕は自分自身、まだまだ無数のコピーを書いていますし、メディアを運営しているので、ライターさんから上がってくるたくさんの原稿をチェックしています。
その中で感じるのは、やっぱり説明的な表現って、すごく楽だということ。
書いていて、安心だし。だって、ファクトをファクトとして書けばいいわけですからね。
でも、そうではなく、ひとつのファクトをいちど抽象化して、別の表現に置き換えることで、元の方を想像させたり、同じく、比喩を使うことで、一度ぜんぜん違う世界に飛ばしたり。そういった手法こそが、表現者の腕の見せ所なはずです。
例えば、椎名林檎は、「愛」みたいなバカでかいものを伝えるために、「ずっと一緒にいたい」と、思いつくのに簡単で、説明的な表現をせずに、「朝の来ない窓辺を求めている」という言葉を使います。
同じく、チャゲアスの飛鳥涼は、大きな「愛」を、大きいままに届けるために、「今を大切に」とか「思い出にはしたくない」みたいな説明的な表現をせずに、「ガラスケースに並ばないように」という言葉を使います。
もうひとつ、スピッツの草野マサムネは、「出会いの尊さ」みたいな大きなものを伝えるために、「君と出会えるなんて奇跡的だ。嬉しいよ」と説明的な表現をせずに、「きっと今は自由に空も飛べるはず」という言葉を使います。
誰でも知っている歌詞ですよね(世代はバレますが……)
こういったアプローチこそが、表現者の矜持じゃないでしょうか。
また、僕はきちんとした広告論みたいな勉強はしたことがないですし、名作と言われるような広告コピーに対する造詣も深くありません。
ですが、今書いたような観点からだけみても、やはり糸井重里の「おいしい生活」や「くうねるあそぶ。」が、圧倒的に素晴らしいことはわかります。
言葉それ自体が持つ力や、伝えられるモノなんて、たかが知れています。映像だってそうです。
伝えたいものを、そのまま伝えるだけの説明的な言葉や映像を置いてしまったら、もうそれ以上でもそれ以下でもなくなります。
もし仮に、糸井さんが、「おいしい生活」と書かずに、西武百貨店の売り場面積や店舗数、扱っている商品の幅広さなんかを訴求しちゃったら、どうでしょう。
「くうねるあそぶ。」と書かずに、日産セフィーロの車としてのスペックを謳ってしまったら、どうでしょう。
そんな退屈な表現、ありえないですよね。
先に出てきた『バラッドを俺等に』のPVは、残念ながらそれをやってしまっています。
ボスの言葉を聞いたリスナーたちの思考の旅を止めるっていう、むしろ逆の効果をつくり出している。僕はそう思います。
それって言ってしまえば、表現者としての怠惰としか思えないし、受け取る側の想像力をなめた態度にしか思えません。
なぜ、あのボスともあろう人が、そんな安直な手法をたびたびとってしまうのか。
残念でならないですね。
ん〜、よし。この無念さを晴らすために……『2020』を買おう! そうだ、そうだ!!
(けっきょく好きなんかーい!)
はい、今日はここまで。
かなり辛辣に書いてしまいましたが、YOUTUBEのコメント欄とかに「説明的だからダメ」なんて声はぜんぜんないし、僕が勝手に感じているだけなんでしょうね。トホホ……。
でも、昔のボスのリリックは、本当にすごかった。
だからこそ、上にあるようなものは、悔しくて悔しくて。
さて、明日から7月。われわれアイタイスも、3期目に突入します。
月並みですが、周りの人のチカラがあって、はじめて我々があります(←説明的)
今後とも、アイタイスをよろしくお願いします(←説明的)
そして、明後日は『2020』のリリース日です(←宣伝的)
とても楽しみですね(←結局どないやねん的)
ではまた来月。