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【月刊あめのもり】2022年4月「さぁ、進もう。最後の宿題を残して。」

こんにちは、アイタイスの雨森です。

先月のメルマガやコラム、そして先ほど配信された今月のメルマガでも書きましたが、本日2022年4月30日をもって、スタッフの西村が退職します。

彼を雇ったのは、2017年の1月。当時、しがないフリーランスだった僕にとって、「人を雇う」というのは、非常に大きな挑戦でした。

その経緯に関しては、過去に西村本人がコラムに書いています。

【月刊ニシ】2020年2月「001番」

(この記事は2022年4月28日に株式会社アイタイスの公式サイトに公開されたものの転載になります。)



最後のミーティングを終えて。

当たり前のことですが「雇う」ということは、給料を払い続けなくてはいけないということ。また同時に、育成もしなければいけないし、自己実現の機会も提供しなければなりません。

今振り返っても、彼を雇ったあのタイミングこそが、社会人として、もっとも大きな変化でした。

少し意外に思われるかもしれませんが、それと比べれば、サラリーマンからフリーになったことも、法人化してアイタイスという会社をつくったことも、さほど大きな出来事ではありません。

どんなことがあっても、例え自分の報酬がとれなくても、スタッフの給料だけは払わなくてはならない。おそらく経営者のみんなが考えていることだと思います。

そんな働き方や考え方を持ったことで、もしかしたら人として少し大きくなれたのかもしれません。

そのきっかけをくれたのが、僕にとってははじめて雇った西村でした。

そこから約5年半の月日が経った昨日4月27日、会社近くのカフェで最後のミーティングを行い、今後のアイタイスの運営に関して、彼からアドバイスをもらったというのはメルマガに書いた通りです。

その中で、当然、書けることと書けないことがあるので、3つだけ、決して忘れてはいけないこととして、このコラムに残しておきましょう。


1:ノルマがないプレッシャー

西村を雇ってから、彼に数字的なノルマを課したことは一度もありません。

営業職ではない我々が追い求めるのは、数字ではなく、品質。それを高めれば数字は勝手についてくるとはじめから伝えていました。

実際、僕も独立してから営業活動のようなことはしたことがありません。そんな時間があったら、自分のアウトプットの質を高めるための努力をしたい。今もその考えに変わりはありません。

しかしそのやり方が、彼にとっては精神的に追い詰められる原因になっていたようです。

課せられない方が、プレッシャーになる。

それを言われて「はっ」と思いました。というのも僕は、「何も課せられていないんだから、気持ち的には楽だろう」と何となく思っていましたが、実際はそうではなかったようです。

数字で測られないから、いつまでも会社に貢献できているという充実感や達成感を得られなくて、それがプレッシャーに変わっていった。それが西村の弁です。

これに関しては、まったくその通りだと思います。ここは反省点として、次へとつなげていかなければなりません。


2:自分の仕事だと思いにくい

西村は僕のもとでライティングの勉強をすることで、コピーライターとしての仕事もしていました。コピーライター、カメラマン、ディレクターの3つが彼の肩書きです。

しかし結局最後まで、彼の原稿は僕のOKが出ない限り、クライアントには出せないという状態が続きました。

もうはっきりと覚えていませんが、僕と働きはじめた初期の頃は、毎回毎回、彼の原稿にきちんと朱を入れて、修正すべきポイントや注意すべき部分を割と丁寧に説明していたと思います。

しかしずっとそんなことができるわけでもありません。

西村のライティング力が伸び悩んだことと、僕が忙しいという理由で、どうしてもそこまで時間をかけられなくなって、途中からは僕の朱書きを反映した2校が出てきた後は僕が巻き取ったり、もっと後半は、初校だけもらったらあとは僕が修正して完成させたりすることも多くなりました。

その修正も、少しの調整を加えるレベルではなく、割と多めに入れていて、納品の形は、彼が書いた原型をとどめていないこともしばしば。

これに関しては、西村本人も「原因は自分のスキル不足」と認めながらも、「自分の仕事であり、自分が納品したという感覚を持てなかった」と話していました。

これもその通りだと思います。一生懸命に書いた原稿であるにもかかわらず、他人がいろいろと手をつけた状態でお客様に提出しているわけなので。

これもひとつ目と同じく、反省すべき部分であり、今後に活かさなければいけないポイントです。


3:ちょうどよい距離感を

僕は社長でありながら、「威厳」みたいなものが本当に好きではなくて、また良くも悪くも「自分がスタッフより偉い」という感覚もまったく持てないので、一般的な「経営者 – 従業員」「上司 – 部下」と比べると、もっとカジュアルというか、フランクな関係性をつくってしまいがち。

そんな環境で過ごすことで、組織として守るべきルールも緩くなっていき、かつ僕もそれを放任・黙認する部分が多いので、お互いの甘えにつながっていたと言われました。

締めるべきところはきちんと締める。守るべきことは絶対に守る。それができていないなら、きちんと注意する。

今後は徹底したいと思います。


はい、今日はここまで。

最後にもう少しだけ思うことを。

僕は26歳から3年半ほど地元の大阪で会社勤めをしました。それが人生で唯一のサラリーマンだった期間です。

その会社の社長は、たしか僕の15歳上だったので僕が入社した時には41歳。今の僕とほぼ同じ年齢です。

26歳という一般的には遅い年齢でやっと会社勤めを経験した当時の僕は「社長」という響きに何となく圧倒され、憧憬や権威、畏怖の象徴、またとてつもなく仕事ができる人の象徴として、その社長のことを本当にすごい人に思っていました。

なんというか、“全知全能”で、すべてを自分の思う通りに進められる人間なんだと漠然と感じていたと思います。もしかしたら新入社員なんかは、みんなそんな風に思っているかもしれません。「社長=天下無双」みたいな。

でも当然ながら、そんなことはないですよね。

当然悩みもあっただろうし、思うようにいかないことだっていくらでもあったんだと、今になっては思います。

思い出すのは、シンガーソングライター、馬場俊英さんの「人生という名の列車」という曲にあるこんな一節。

同級生のジローがそのうち学校の先生になり
あいつなんかが先生でいいのかと俺は本気で思った

いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと

拝啓 先生 あの頃 あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと遅まきながら知った気がした

ちょうど先週、僕は誕生日を迎えて42歳になりました。世の中には「不惑」なんて言葉がありますが、その領域に達していないことは言わずもがな。

小さいながらひとつの組織を率いる立場として、責任や覚悟は持っているつもりではありますが、それと同時に、迷いや不安、戸惑いもあります。

とはいえ、今できることは、西村を雇い、5年もの長い期間、一緒に働く中で得たことや反省点をここからのチーム運営に活かすことで、組織を成長させ、今いるスタッフの成長を全力でサポートするということ。

仲間を送り出した今が、また新しいスタートです。立ち止まって感傷に浸っている時間はありません。進みましょう。前へ。力強く。

では最後に改めて。本当に未成熟な組織の中で、5年以上にわたって、もがき苦しみながらも、活躍してくれた西村に。

最後の宿題は、次の会社で、アイタイスではできなかった成長を遂げるということ。それが君がほしがっていたノルマやで。

ありがとう。お疲れ様。

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