十三夜と自己価値
10月18日は十三夜でした。
東京では満月に少し満たない月が美しく輝いていました。
十五夜のお月見は大陸からきた風習ですが、十三夜は日本独自の風習です。
昔の日本人は十五夜の名月からひと月後の十三夜にもススキや、お団子、秋の果物や栗をお月様に供えて月に想いを馳せていました。
満月に満たないまだ少し欠けている月を愛でるなんて、侘び寂びに美を見出す日本ならではの美意識で、私は個人的にとても惹かれます。
私たちは、とかく自分なりの完璧な自分を設定してしまいます。
「こうでなければ」
「まだできていない」
「あそこまで到達してから」
と、知らず知らずに自分に制限をかけるのが癖になっています。
「まだまだです」
と謙遜するのは日本人の美学であって、やたらに自己顕示欲を振りかざして自己主張するのは恥ずかしい行為だと教えられてきました。
確かに、自分をひけらかさないという意味では美しい行為だし、謙虚になることは傲慢の対比としても大切で、謙虚は日本人ならずとも人としての美徳です。
ですが、その謙虚さを自分へ向けているといつの間にかそれがあたかも自己評価のようになってしまい、上記のような制限の重りをいくつも自分にくっつけて生きてしまいます。
最近、「神様が見える子供たち」というYouTubeチャンネルにはまって、睡眠時間が短くなっていますが、「穴だらけの自分 そこが可愛い」https://www.youtube.com/watch?v=ZX2dauCu7Wwという動画を見てダメなところがあるからこそそれがその人の魅力なのだということを改めて思いました。
皆さんも、時には完璧ではない月を愛でて、そこに未熟な自分を重ねて、いい子いい子してみてはいかがでしょうか
我が家では、ススキならぬ、先日の稲刈りでいただいてきた稲を飾って十三夜を過ごしました。
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