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始まりは終わりの始まり。映画『花束みたいな恋をした』

始まりは終わりの始まり。

お久しぶりです。駒です。

映画『花束みたいな恋をした』を見て思ったことをつらつら書くノート。
ネタバレかも。

2021年の公開から話題の中心にあり続ける、(少なくとも私のいくつかのコミュニティではちょこちょこ話題に上がる映画)。
満をじして、視聴した。アマプラのレンタル、500円。

「駒ちゃんは絶対見たほうがいいよ」
小学校からの親友に言われた。

「『花束みたいな恋をした』じゃないけどさ、同じ本を読んで同じ映画をみて、出会うべくして出会った二人が…」
彼の”恋愛観”の中にある映画。

「3回ご飯食べて告白しなかったらただの友達になってしまうらしいね」
5回かな、はサシで出かけた男の子に言われた。


出会い

2015年、東京。
大学生の八谷絹(有村架純)は終電を逃した明大前で、同じく終電を逃した山音麦(菅田将暉)と出会う。
同じ本を読み、同じ映画をみて、同じ靴を履く、偶然に出会った二人。
話せば話すほどよく似た二人。

350mlの缶ビール買って

「クロノスタシスって知ってる?」
「知らない」
「「ときみが言う」」
カラオケボックスできのこ帝国のクロノスタシスを歌う。
有村架純さんのハミングがあまりにも可愛い。

350mlの缶ビール買ってきみと夜の散歩

それにあこがれる人がいるからそういう歌があって、
それにあこがれる歌があるからそういう映画になる、よね。

私たちの恋愛?えも?は何度も繰り返し使い古された価値観の中で泳いでいる、テーラーメイドじゃなくて既製品の物語。だけどどこまでも”特別”だ。

『花束みたいな恋をした』
この映画は、クライマックスも世界を揺るがすドラマもないけれど、恋愛のいいな、わかるな、がいっぱい詰まってる。

終電を逃して、飲食店を梯子。雨の中古びたアパートに駆け込む。
ドライヤーの線がギリギリ届く。恋が走り出す音が聞こえる。

彼は”電車にゆられていたら”と言った

電車に乗っていたらと言うことを彼は
”電車にゆられていたら”と表現した

絹ちゃんのモノローグ。すごく二人の人となりを表していると思う。
ゆられていたら、と表現した麦くんの感性。
さらっと流れてしまうような言葉繰りに気づく絹ちゃんの感性。

その感性は、アンテナを張るみたいに能動的なものじゃなくて、染みついた習慣みたいなもので、二人は日頃からたくさんの言葉にふれて、言葉を大切にしているんだなってわかる。

3回ご飯食べて

告白は3回目のデートで。
通説か、規範か、世に謳われる恋愛の”ルール”

これに倣ったであろう麦くんのモノローグ。

3回ご飯食べて告白しなかったらただの友達になってしまうよって説あるし

なんかこのありきたり感がいい。

特別な二人の、ありきたりな恋愛。
思えば恋愛ってどんな二人でも、どんなにテンプレートな出会いでも、二人にとっての特別な物語で、そこにわかりやすい”ドラマ”がなくても二人のドラマだよなー、と。

私にこのセリフを引用して何かを伝えてた男の子は、
この映画が現代の恋愛の価値観を作ってるまであると思うよ、と言った。

この映画は現代の恋愛の価値観に倣って描かれているんだな、と思った。

はじまりは終わりのはじまり

はじまりというのはいつも終わりのはじまり。出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつしか終わる。

私がこの映画を好きな理由のいちばん。
始まりは終わりの始まり。

形あるものいつか壊れる。形ないものもいつか壊れる。変わらないものはないんだよ。
私の深いところに染み込んだ父の言葉。

これについてはまた別のノートでも書きたいと思う。

晴れて交際をはじめた二人。
絹ちゃんのモノローグ。とあるブログからの引用。
「自分の恋愛に当てはめるつもりはない」
このセリフがどこにかかっているのかはわからないけれど、
”現状”がずっとは続いていかないことを知っている絹ちゃん。


『花束みたいな恋をした』
恋をした。

したいことがあったら言ってね

この物語は序盤の幸せムードとは一転して、後半は二人が少しずつすれ違っていく様子が描かれる。

その一つに麦くんのセリフ
「してほしいことある?」
絹ちゃんが見たいと言っていた映画(この辺記憶が曖昧ですみません)をみた夜。並んで布団に入ったところで麦くんが伝える。

この違和感。リアルだなーと思った。

サブカルチャーは、もともと二人の”したいこと”だったはずだ。
それが絹ちゃんの”したいこと”になった。

絹ちゃんとの生活を守るため、夢をあきらめて仕事を始めた麦くん。
少価値観が社会に適合し続けるために変化していく。

変わってしまった麦くんと変わらない麦くん。
その両方を綺麗に映し取った一言。

少しずつ離れていく二人。

今日楽しかったし

「ちゃんと伝えようと思う」
共通の友人の結婚式の後、それぞれがそれぞれに別れを伝えようという決意します。

式が終わって、明るい会話、いつかみたいにカラオケボックスに入り、その足でファミレスへ。
「楽しかったね」と、絹ちゃん。
ここの流れと、彼女の顔を映さない演出が良かった。

「別れるんじゃなくて結婚しようよ」
麦くんの言葉。式場で友人に伝えた決意は揺らいで。

「今日楽しかったし」

絹ちゃんの言葉。

今日楽しかったから、じゃなくて、
今日楽しかったし、なんだよなぁ。

最後に。

この映画は二人がどんなに惹かれあっていても、通じ合っていても、終わりへと続く物語を描いているところがとても好きでした。

すごく綺麗な話なんだけど、綺麗事じゃないというか。

付き合う前に”恋愛らしさ”をここまでかってくらい詰め込んだ展開も良かったし、絹ちゃんの「はじまりは〜」の独白、新幹線の時間でハンバーグを食べられなかったこと、こういう終わりに向かう物語を感じさせる描写、
離れていく二人の「してほしいこと」とか、「イヤホンで遮断」とか距離感の描写がいい。


『花束みたいな恋をした』
恋をした。

すごくキラキラしているように見えて、でもその輝きは生花と同じ移ろいゆくもので。

ラストシーン、麦くんが絹ちゃんから贈られたイヤホンを使ってたのとか、新しい恋人と同棲していないことがわかる描写とかそういうのいいな。

なんて思った。


2024.10.3

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