言葉にすること。
言葉にすること。
お久しぶりです。
新年一発目の投稿(なんて時期じゃないけど)は言葉について。
言葉にするって難しいですよね。
言葉にすると曖昧だったものが”そう”に明確化されるというか。
例えば、
気になっている人がいたとして。
素敵だなって思ってる。人として尊敬してる。話してて心地よい。笑顔が好き。
一方で、その人を好きになることへの恐れの多さ。自分に自信がないから。優しい言葉をかけられたから勘違いしてるだけじゃないの?そもそもあんまりあの人のこと、知らないし。
好意的に思っている、恋愛対象として意識しちゃってる。気になっている。
好きだよ。好きだけど。
それは間違っていないけど、いわゆる”好きな人”なのかはわからない。
そんなどっちつかずな曖昧さも、
好きなの?
この一言で明文化される。
そうだよ、って言ったらそれはもう恋で憧れとか意識とかそんな曖昧なものじゃなくて、
恋心という記号化された明確なものに変わる。
そんなことないよ、って言ったら素敵だな、だったり、その人もことを知りたいとか、仲良くなりたくないとかも全てないものであって、その人は特別じゃない普通の人になる。
そこに素敵だなって思う反面好きだって言いきれるほど知らないその人のこととか、傷つくのが怖くてなんとなく本当の想いから目を背けようとしているような自分のこととか、
一言で収められない感情、葛藤の渦たちはなくなってしまう。
言葉にすることで曖昧なままにしておきたかった自分の心に嫌でも向き合うことになるし、向き合えなくてもてもそれが答えになってしまう。
やっぱりどうしても言葉って記号で、
記号で表すってことは一元化されるもので。
自分でも説明できないような微妙な心の機敏を正確に言葉にするなんてそもそも無理な話で。
自分に、本当の気持ちに向き合うのって怖いし、
それを言葉にすること、人に伝えることってもっと怖い。
だけど、
だからこそ、
私は言葉を選ぶのが、綴るのが、くくるのが好きだし、
丁寧に言葉を選んでいきたいって思うんです。
ここにいる皆さんもきっとそう、
大切にしたいと思っているんじゃないかな。
「いいよ」と「いいね」の違いとか
些細な話かもしれないけど、
そのニュアンスの違いを受け止めちゃうし、考えて使いたい。
好きとか好きじゃないとか、
わかる、共感する、理解する、納得する、あなたの心に寄り添いたいと思う、自分なりに考えてみる、とか。
言葉が好きだし、自分の言葉にすること、考えることも好き。
ダンスとか音楽とか演劇とか、大学にはいろんな表現者たちがいるけどこれが私の表現なのかもしれないって少しだけ、思いました。
2024.4.18
追伸:
久しぶりにnoteを投稿します。
ここからなんとなく遠のく前に下書きに残していたものを加筆・修正しました。
最後ちょっと大学の話がありましたが、
映画とかダンス、演劇などなど芸術っぽいことについて学ぶ学部に所属しています。大学にはすごい人がいっぱいいて、撮影の現場飛び込んでたり、編集の仕事をもらってたり、舞台に立っていたり、表現したいものを持っていています。
自分にはこれという表現がないです。
不安なのは変わらないけど私は言葉が好きだというお話でした。
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