『ボーはおそれている』から再考する家族との距離感について
スマホのメモ帳を整理していたら昨年映画館で『ボーはおそれている』を観た直後に記したメモが出てきたからこちらに移しておこうと思う。
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ミッドサマーで話題になったアリアスター監督による最新作、ボーはおそれているを視聴してきた。
絶対的に我が子を支配したい母親の捻れた愛情が生み出すブラックコメディだ。
前作のミッドサマーでアリアスターの変態ぶりには既に参っており、本作を観るか否かについては友人と数ヶ月に及び議論(というより励まし合いか?)し、話がまとまったと言えばそうではなく、捨て身の記念受験ならぬ記念視聴だった。
それ程までにミッドサマーは衝撃的なだったことを察していただきたい。
今回の主題はボーの感想ではないが、とにかくボーは酷かった。これは批判でも称賛でもない。
よくもこんな悪夢に3時間付き合わせてくれたなという呆れと、悪夢という最悪のシナリオでよく3時間もストーリーを展開させたなという感嘆の叫びだ。
想像して欲しい。大秘宝を探し求めるルフィの冒険が全て「夢オチ」と最初から分かった上でワンピースを読破できるだろうか、普通。
自分らと同じように世界中の観客が戸惑い絶望したことに、アリアスターはさぞご満悦だろう。
とにかく今回も多少トラウマを植え付けられた訳だが、私は本作を観て絶望しながらも、傍らで「家族」という存在や距離感について考えてしまう思い出があるのでここに残しておこうと思う。
家族のことを"好き"か"嫌い"か。
この二択で片付けるには家族という存在はあまりに複雑だ。
世の中には不仲ゆえ家族の話題を避けたい人もいれば、頻繁に家族と食事や旅行を共にするほど仲が良い人もいる。
難しいのは家族仲が悪くても嫌いになれない、もっと厄介なのは「嫌いと思ってはいけない」と悩む人もいる程、「愛情」が呪いになっているケースもある点だ。
実際私も家族と仲はいい方だが、好きとか嫌いという陳腐な言葉で仕分けるのは気が進まない。
親の愛情とはありがたいものだが、時に正しくなかったり鬱陶しかったりする。
また私は恥ずかしいことに、親が自分と同じ人間であって未熟なところもあると認識できたのはおそらく大学生か社会人1年目になってからだ。それまで親は常に最善の選択を知っていて、常に信頼すべき存在と信じて疑わなかったし、疑ってはいけないと思っていた。
おそらく、極端な例え方をすると「経済的搾取」を受けていたからだと思う。
私は子供の頃から「親に扶養されている、被扶養者だ」という認識が人一倍強かった。
父が真面目で、娘が将来金銭感覚で苦労しないようにと思ってだろう。教育費、塾代、交通費代、文具代など様々な費用については必ず私から父に「お願い」して初めて支払ってもらうフローだった(このフローがポピュラーかどうかは知り得ないが、友人に話すと大方気味悪がられた)。
「ものごとには何にでもお金がかかる」という意識づけをさせていたのだろう。
流石に違和感を感じる瞬間が多々あった。大学生の時にイタリアへ旅行すると伝えると父に「スケジュールと費用を全てExcelにまとめて送りなさい」と言われたのだ。自分で貯めたバイト代で旅行するのにまるで父がお金を出したかのような感覚に仕向けられた。モヤッとしたが反論するのは面倒だった。反抗期を迎えなかった私が大学生になり意見し出すと、「今更反抗期か?」と嘲笑され、まともに取り合ってもらえなかったからだ。イタリア旅行については「まだ扶養されているんだから把握するのは当然だ」とのことだ。便利な言葉だ。
親友に話したら「家というか企業だね」とつっこんでくれた。
一方母は、私が幼少期の頃から「将来絶対に人から経済的に搾取されちゃダメだ」と教えてきた自立心の強い女性だった。将来結婚したとしても、夫だけが働いてその人のお金で暮らすことは自分の立場を失うことを意味する、経済的に常に自立すべきだと私に説いてきた。
母はその言葉通り私が小学校3年生に上がると専業主婦から金融系の営業職に復帰した。いわゆるバリキャリとなった母は専業主婦の頃よりも言葉の強さが増し、見た目も煌びやかになり、より一層自信に満ち溢れた女性となったし、「いつ一人になっても問題ない」と話すようになった。
この両親に挟まれて育った私は「物事には何でもお金がかかり、それも一人で自立して稼がないといけないのに今は両親に仕方なく払ってもらっている」という罪悪感と、扶養されているうちはどうすることもできないという惰性を中学生の時から抱いてきた。副作用的に人の顔色を異常に気にかけるようになり、意思決定力も弱まった。
意思決定力が弱くなると、親の言うことは必ず正しいという認識の歪みが増幅した。まさにボーだった。
(ここからは更に身の上話なので気が向いたら読んで欲しい)
高校2年生の2月のことだ。
私はダンス部の定期公演で夕方まで学校のホールにいた。その日は記録的な大寒波が到来し、公演の後片付けを終えた頃には豪雪で積雪1メートル以上だった。外は吹雪で視界が悪く、交通網はダウン。雪に慣れていない私たちは困惑したが、帰れなくなった生徒たちは顧問の提案で学校に残り一泊することになった。
電車と自転車で片道1時間かけて通学していた私も迷わず学校に残ることを選び両親にLINEした。
すると母から電話が来たのだ。
「何を考えているの?!バスだってあるんだからそれに乗って帰ってきなさい!」
電話を繋げたまま窓の外をもう一度見たが、バス停まで安全に歩けるのかわからないほど視界は真っ白で、そもそもそんな簡単にバスが来るわけがない、外を見て欲しいと伝えた。
「学校に残ったら部活なんか辞めさせるからね!」
その言葉を聞いて頭の中が真っ白になった。
確かにバスさえ来れば時間がかかったとしても距離的に数時間で帰れるだろう。夜まで待ってもバスが来なかったら学校に戻ればいい。考えが及ばなかった私も悪かったが、母もそう説明してくれれば良かったのに。普段温厚な母の言い方があまりにも冷たく、ショックを受けてしまった。
勉強が嫌いだった当時の私がどれだけ部活に没頭し、毎日朝から夜まで練習してやり甲斐を見出していたのか両親は知らなかったのか、知っていてあえてそう話したのか。
年3回のダンスの定期公演も全国大会も周りの同級生の保護者たちが応援しに来ては「上手だったね」と褒め、写真を撮っていた一方、自分の両親は一度も来てくれなかった。両親からしたら私の部活はただの遊び程度だ。定期公演や大会が近づくたび、部費や衣装代がお小遣いで足りなかったのでいつも「申し訳ないけれど次の公演で必要だから..」と小さい声で両親に請求していた。お金の相談をするときの両親の冷たい目つきがいつも怖くて直視できなかった。(が、その恐怖に臆せず高校3年間しっかりねだってきた私もなかなか図太い)。
とにかく、私はバスが走っていようといまいと、学校を今すぐに出るべきだと悟った。
反抗期さえ迎えて電話を切るような強気なJKなら良かったが、そんな態度を示した暁には高校の授業料やこれまでにかかった様々な費用の全てを執拗に請求されるだろうと想像したのだ。
雪への恐怖よりも両親が本気で部活を辞めさせようとする恐怖で思考が一直線になった私は泣きながら学校の出口へ向かった。何があったのかと驚く同級生が引き止めてくれたが私は既に咽び泣いて何も上手く伝えられない状態だったので、ただただ一人で外へ出た。
いつもなら徒歩10分でたどり着くバス停もその日は道が悪く30分ほどかかった。バス停に着くと100メートル近い長蛇の列ができていた。同じ人がいるんだと少し安堵したものの、待てど暮らせどバスは来ず、最初のバスが来るまで2時間近く待った。
県立高校だったため登校着の規制が強く、唯一登校着として認められていた部活の公式のスウェットを着ていたため、ダウンなど防寒着は着ていなかった。傘やバッグに次第に雪が積もり、限界の寒さと孤独感で5分おきに心の中の何かが折れた。
満席のバスを何本か見送り、やっと自分が乗れたのは3〜4時間後だったと思う。
雪に慣れた人からしたらそれくらい、と思うかもしれないが、公演をやり切った私に雪は体力も体温も十分に残してくれなかった。何より孤独感で押しつぶされていた。
やっと乗り込んだバスが徐行し始め、2時間ほどかけて途中の駅にたどり着いた。
家の最寄り駅に着くと両親が迎えにきてくれたのだ。
ほっとした私は涙がまた出そうになったのだが両親の次の発言で涙はピタッと止まった。
「お前は本当に馬鹿だ」
「遅すぎる」
「一体何をやっていたんだ」
「しばらく部活には出るな」
外で楽しく雪遊びをしていたとでも思ったのだろうか。当初バスを選択する判断ができなかった私も悪いが、何故あれほど叱責されたのかは今でも永久の謎である。そこから家にどうやって帰ったのか、そしてその後の数ヶ月家族とどう過ごしたのか、何故か記憶がすっぽり抜けてしまっている。
両親とは仲は良いと思う。お金や雪のことになると苦手意識が出てきてしまうがそれくらいのことで家族を嫌いにはなれない。
親だって子に対して憎悪も愛情も持っているだろうし。
とはいえ自分にとって最善の選択を探ったり、自分を客観的に見れるようになったりするには家族との距離感をよく検討する必要がありそうだ。
随分身の上話をしてしまったが、ボーを観ると家族愛という違和感やあまりにも大き過ぎる存在感について考えざるを得なくなる。そんな作品だった。
ボーを観ることによって気持ちが浄化することは万に一つもないが。笑