空と信号機と電柱
小学生の頃家族で車で遠出した帰り、最寄りのインターチェンジを降りるあたりに差し掛かると僕は後部座席で逆さまになっていた。
頭が下で脚が上、そこから見える景色は空と信号機と電柱だった。
みんなで遠出して楽しかった旅も、家が近づくにつれ徐々に見たことがある景色になる。
そして家に着く前のどこかで完全に日常へと引き戻され終わりを突きつけられる。
でも楽しかった旅はなるべく終わらせたくない。だから見知った景色が目に入らないよう逆さになって空と信号機と電柱を見ていた。
この逆さ作戦は効果があった。
しかし何度もやっているうちに次第に空と信号機と電柱の景色を覚えてしまっていた。加えて交差点の曲がるタイミングでどこにいるかが分かるようになった。
もしかしてここはあそこじゃないか?とふと生まれてしまった予感は僕を現実へ連れて行くことしかしない。だから頭から消そうと必死なのだが、その間にも進む車はどんどん情報を積み上げ予感を確信へ淡々と換えていく。ついにそれに抗うことはできず現実へ引き戻される。
そうして車は家に着く。
玄関を開けると、人の熱量が長時間離れていた家の空気が味噌汁のように沈殿している。その清冽な上澄みの落ち着きざまにやけに安堵する。
この家感の無さは、現実に引き戻されあとは消えゆくだけの旅の余韻しか持たない人間のそれを眠りにつくまで生きながらえさせる。
翌朝起きると部屋はいつもの生活の空気になっていて、旅が終わっている。